東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

今週もコットンクラブ いつものようにカーディングと紡ぎ

2023年01月31日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 早くコロナ惨禍が収まらないでしょうかね。2週間ぶりのコットンクラブ、この厳冬期にもかかわらず四方の窓を開けて活動しました。そのため、風が吹き込む中で羊毛をカーディングしたり毛糸を紡ぎました。一応エアコンも作動させていますが、時たま暖かい風が首筋を通るだけです。
 今回は、羊毛をカーディングすることから始めました。1年位前まではハンドカーダーでカーディングしていました。しかし、ドラムカーダーを使い始めてからはこればかり使っています。早く,均一に,そして楽ににカーディングできるためです。一度利器を使ってしまうと抜けられません。

        ドラムカーダーを使って羊毛(きなこ)をカーディング


 このところ使っている羊毛は、海田ファームさんで一昨年いただいた羊(きなこ)の毛です。まるごと一頭分に近い量です。そんなにたくさんのウール作品を編んだり織ったりするわけではありません。また田布施農工高校さんからいただいた羊(茶々丸)の毛もまだあります。そのため、使いきるには今年いっぱいかかりそうです。

 活動前に椅子机の準備    梳きたい羊毛を挿入   梳かれた毛の取り外し
  

 今紡いでいる毛糸を何に編むか織ろうか考えています。一昨年は織って毛糸布に、去年は編んで座布団にしました。同じものでは芸が無いので、何かの衣服にできないかと考えています。かと言って、ど素人の私ができるのは小さなカーディガン位かなと思います。昔の衣服製作本に載っている型紙などを参考にしようと思います。

   カーディングが終わると紡ぎ      談笑しながらお茶タイム
 

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銭壺山 日積側から積雪の急斜面を登る(2/3)

2023年01月30日 | 歴史探訪他ウォーキング

 散々苦労して、積雪の銭壺山にたどり着きました。快晴の青空を雪雲が巻き上がっていました。数十m先に見えた山頂、最初枝先に梅が咲いているのかと思いました。梅ならば2月末にならないと咲いてないはずです。おかしいなと思いつつ山頂に着くと、梅の正体が分かりました。たくさんの枝先に氷が付いていたのです。つまり、樹氷が白く光って梅の花に見えたのです。

         樹氷に覆われた樹の枝、銭壺山の山頂に到着


 積雪の急斜面を上り詰めた場所に天狗堂のお社がありました。今までいろんな神社にお参りしましたが、天狗を祀ったお社は初めてです。どこから勧請してきたのでしょうか。建物内の記述を読むと、昭和50年代に改築したようです。今でも定期的に掃除やお祭りをしているようにみえます。

   天狗堂のお社      天狗堂に続く参道    天狗堂への参道入口
  

 天狗堂のお社で立ったまま休憩しました。すると、寒さから急に体が凍えてきました。そのため、すぐに脱いだ服を着こみました。少しの間の休憩後、天狗堂後ろの手すりがある山道を登りました。数分で車が通ることができる参道に出ました。その参道、南に行くと駐車場の広場がありました。氏子の方々はこの広場に車を駐車して天狗堂にお参りにいくのでしょう。

  樹氷が付いて白く見える枝や葉     山頂から見下ろした日積の里
 

 山頂に着くと、快晴だったため瀬戸内海,周防大島,日積,岩国,そして広島の呉方面が良く見えました。いつもはなかなか見えない四国が良く見通せました。その四国、屋根らしき建物もよく見えました。厳冬期のため空気が澄み切っていたのでしょう。
 山頂から少し降りると、東屋に行って昼食休憩をとりました。しかしながら、休憩していると凍った空気がすぐに体を冷やします。お湯が入った暖かい紙コップに、凍える手が救われました。少し休憩をとると、すぐに下山しました。

        日積側から銭壺山に登った、積雪の山道コース

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猫ちぐら(ほぼろ版)を試作(2/9) チガヤで底部の編み込み完成

2023年01月29日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 空いた時間に、少しずつですがほぼろ版猫ちぐらを制作しています。なんとか猫ちぐらの底部が出来上がりました。猫の重さで歪まないように硬く作りました。ですが、その底部は見ただけでは鍋敷きそのものです。違いは、ほぼろ技法で作った猫の部屋と連結するための紐を20cm位余らせてあることです。今後、猫が入る部屋をほぼろ作りの技法で作ります。

    ほぼろ版猫ちぐらの底部、猫が乗って歪まないよう硬く作る


 底部はチガヤの束をねじりながら巻き付け、紐で締めるようにして止めます。そのチガヤも巻いていると、だんだん短くなってきます。そんな時は、チガヤを少しずつ継ぎ足します。その後は、同じように巻きつけながら紐で締めます。入った猫の重さでたわまないように、しっかりと紐で締めます。この猫ちぐらの底を編む時、両手では足りないため歯で噛んで紐を引っ張ったりします。

  継ぎ足したチガヤ      終端を締め付ける     終端余りを切断
  

 想定した直径に巻き上がったら終端処理をします。チガヤの終端になるとだんだん径が細くなります。その終端を締め上げて底部の出来上がりです。チガヤの終端余りはハサミで切り取ります。
 今後はほぼろを作るようにして猫の部屋を作ります。ほぼろと違うのは、猫が出入りする口があることです。猫の出入り口をどう作ろうか検討中です。

   口も使って底部を締め上げる     底部とほぼろを合わせてみる
 



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お湯を沸かせるように、ドラム缶を加工

2023年01月28日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 ありがたいことに、ドラム缶を二個いただくことができました。長さ1m位のものを蒸したり湯通しできるよう、ドラム缶の一個を加工しました。素人が金属を切断する方法にはいくつか方法があります。金切りバサミ,金切りノコギリ,そして、丸砥石を付けたグラインダーなどです。金切りバサミや金切りノコギリは平らな金属板を切るのには適していますが、ドラム缶のような曲線版には向きません。
 そこで、今回は丸砥石を使ってドラム缶を切ってみました。切断中に火花が飛び散るため、保護メガネや軍手は必須です。加工中に困ったのは、飛び散った火花が手首や首筋に入って熱かったこと位でしょうか。切り落とした部分は、蒸したりお湯を沸かす時の蓋に加工しようと思います。

         ドラム缶を切り抜き後、蓋にする部分を取り外す

 ドラム缶を加工する前に、水を入れる側と火を焚く側を決めました。いろいろ考えた結果、使った後のお湯を抜きやすいように、ガソリンなどの液体を入れていた穴を下側にしました。そのため、その反対側を切り抜くことにしました。
 長さ1m位までのシダの枝やクルミの枝などを出し入れしやすいように80cm x 40cm位の長方形に切り抜きました。もしも使ってみて狭ければ、さらに大きく切り抜きます。

  ガソリン出し入れ穴    切り抜きマーキング    切り抜き加工開始
  

 切り抜いた後にドラム缶の中を見ると、ガソリンの残渣がわずかに残っていました。今後、その残渣を拭きとったり洗剤で洗ったりする必要があります。それが終わって初めてお湯を沸かすことができます。
 野外でお湯を沸かすことになるため、耐火レンガやブロックなどを使って簡単に火を焚けるようにしようと思います。春までにはお湯を沸かしてみたいものです。

    火花が容赦なく飛び散る       もう少しで切り抜き終了
 

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芭蕉の植え替えなど、春に備えて畑の整理

2023年01月27日 | 草刈り,整地

 厳冬期の真っただ中ですが、いつか春は訪れます。秋の収穫後、雑草が生い茂った畑をハンマーナイフモアなどを使って綺麗にしています。今回綺麗に雑草を刈り取った畑は、崖と竹林に囲まれたやや日当たりが悪い場所です。そのため、日当たりが悪くても何とか収穫できる里芋などを栽培しています。
 この畑は竹や笹の侵入にさらされています。春になると、侵入したタケノコを掘り捨てたり、いつの間に生えた笹を根元から切っています。なお、隅に生えている芭蕉が竹に押されて枯れそうです。日当たりの良い場所に植え直そうかと思っています。芭蕉はうまく使えば紐の材料になりそうなので。

       崖や竹林に囲まれた、やや日当たりの悪い畑の草取り


 芭蕉の葉を紐にできないか去年試しました。しかし、葉そのものはもろくて紐にできませんでしたが、髄の部分はなんとか紐にできました。芭蕉布にするくらいなので、葉や茎の髄は繊維として使えそうです。縄綯い機でちゃんとした紐にできないか試行してみようと思います。
 ところで、芭蕉についてのことです。長年バナナだとばかり思っていましたが、バナナは日本では育たないそうです。葉や花などの見た目がバナナそっくりなので、バナナと誤解している方がとても多いとのこと。

  枯れた雑草を粉砕     残りわずかな雑草    雑草を全て刈り取り
  

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銭壺山 日積側から積雪の急斜面を登る(1/3)

2023年01月26日 | 歴史探訪他ウォーキング

 銭壺山を日積から登山する下見の日でした。早朝雪が舞っており道路も畑も雪が降り積もっていました。当初、下見は中止の方向で考えていました。
 ところが、だんだん空が晴れてきましたし、我家の車はスタッドレスタイヤを履いています。そこで、下見をすることにしました。一番心配していた石井ダム近くは道路が真っ白に積雪し踏み固められていましたが、スタッドレスタイヤの威力ですいすい道路を登っていきました。そんなこんなで、昼頃に登頂しました。空気は透き通り、遠く四国や広島の呉などが見通せました。

           積雪した銭壺山山麓の急斜面を登る


 スタートしたのは日積のふれあいどころ437です。開店時間をだいぶ過ぎていたのですが、積雪のためか駐車したのは私の車だけでした。最初、閉店の日かと思いました。みんな外出を控えていたのでしょう。お客が誰もいないふれあいどころ437をスタートして、のんびり銭壺山に向かって進みました。時間を遅らせて出発したので、日当たりの良い道路はみな雪が解け始めていました。

  ふれあいどころ437   鳩子の里の冬田んぼ   鳩子の滝はもうすぐ
  

 鳩子の滝に向かって緩い登り坂道路をどんどん進みました。しばらく歩くと、銭壺山が真上に見える鳩子の滝に到着しました。お地蔵様傍で最初の休憩をしました。体が熱くなっていたため服を一枚脱ぎました。ここからはさらに急な上り坂が続きました。枯れた竹林は歩きにくかったのですが、その後の道は意外にしっかりしていました。棚田跡や人家跡などを横目に見ながら歩きました。

  最初に休憩したお地蔵様傍      倒れた竹を避けながら進む
 

 しばらく谷間の上り坂を進みました。小さな川を跨いでしばらくすると、急斜面が現われました。しかも、落葉が厚く堆積した超急坂でした。落葉は滑るし、雪が積もっているし、捕まる枝がないため往生しました。そのため、2歩進んで1歩ずり落ちるような登り方でした。何度か転びそうになった急斜面を登りきると、天狗堂の建物が見えてきました。頂上はもうすぐです。

        日積側から銭壺山に登った、積雪の山道コース

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猫ちぐら(ほぼろ版)を試作(1/9) チガヤで底部の編み込み開始

2023年01月25日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 5月にほぼろ製作講習会をする予定ですが、その時に猫ちぐらのご要望がありました。猫ちぐらは知っていますが、作り方がほぼろと違います。猫ちぐらは、縄状にぐるぐる巻きながら組み上げていきます。しかし、ほぼろは馬を使って稲わらを織るようにして組み上げます。
 一度私の方でほぼろ版の猫ちぐらを考案してみようと思います。そのため、私流にほぼろを応用した猫ちぐらを試作することにしました。以前、わらで作る鍋敷きを高校生に教えていました。その私流の鍋敷きの作り方を応用して、まずは猫ちぐらの底面を作りました。なお、稲わらではなく我家の周りにたくさん生えているチガヤを使ってみました。

     鍋敷きの作り方を応用して、ほぼろ版猫ちぐらの底面を製作
   最初1,2,3で締め、2周目で4,5,6を絞め、そして4周目で7~12を絞める


 最初稲わらを使うつもりでしたが、我家の周りにはチガヤがたくさん生えています。草刈りついでにチガヤを刈り取って使うことにしました。稲わらより細いためたくさんのチガヤが必要になります。2束のチガヤを用意して猫ちぐらの底部を編むことにしました。チガヤに限らず禾本科の植物だったら何でも使えます。
 まずはチガヤを径1cm位に束ねて元に3本の紐で結びます。なお、それぞれの紐の中心部で結びます。そのため、束ねたチガヤの根元から6本の紐が出ていることになります。

 刈り取ったチガヤ1束分    径1cmのチガヤ     3本の紐を結ぶ
   

 次にチガヤの束を根元からぐるぐると巻きます。巻き始めは硬いため、水で濡らしておくと曲がりやすいです。そして、曲げが戻らないように紐で硬く締めます。チガヤを曲げては紐で締めるの繰り返しです。2回りすると、紐を3本追加します。さらに4回巻きつけるとさらに締め付ける紐を追加します。その後、どんどん曲げては巻きつけ,そして紐で締める,のくりかえしです。巻きつけながら鍋敷きを作る方法は、他にもいろいろな方法があります。

 チガヤの根元を強く曲げ巻きつける    巻きつけては締めるの繰り返し
 

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柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(4/4)

2023年01月24日 | 歴史探訪他ウォーキング

 岡の上公園で昼食休憩をしていると、だんだん雲行きが怪しくなって寒くなりました。そこで早々に出発することにしました。そして、公園傍にある光台寺に行きました。柳井幼稚園を併設しているため、いつもは園児達で賑やかです。しかし、今回は休日のため静かでした。
 このお寺は別名ワンワン寺と言います。その理由はお寺の楼門の下で手を叩くと、犬の鳴き声のような音が出るとのこと。その理由をみんなで確かめてみました。私も叩いてみましたが、反響音はしますが犬の鳴き声には程遠いようです。オンオンのようにも聞こえます。その音が、人によっては鳴き声に聞こえるのでしょう。

        街並み資料館内に設置された、変わった形のお鈴金魚


 高台寺は楼門はとても立派ですが、本堂がどこにあるのかよく分かりません。楼門から見えた建物が本堂かも知れません。
 続いて、丘をおりて長岡外史石碑に行きました。生誕を記念していますが、実は生誕地は下松とも言われています。第二奇兵隊参謀小方謙九郎(上関の四階楼を建築)の婚外子とのこと。母親が身ごもっている頃に下松から柳井に引っ越したため生誕地がはっきりしないようです。スキーや飛行機の導入などで名をはせた人物です。

   光台寺の楼門      光台寺からの景色     旅館兼銭湯跡
  

 続いて、山崎ミシン商会に行きました。このお店は柳井周辺でミシンを唯一修理できる個人商店です。まさに昭和のお店です。このお店で、足踏みミシンに使う丸皮ベルトを購入しました。店主は高齢で足が悪くて歩けません。それでも、不自由な足でベルトを売っていただきました。続いて、街並み資料館に行きました。

     長岡外史跡生誕記念碑      明治40年建築街並み資料館
 

  街並み資料館前には國木田独歩の銅像(上半身)が置いてありました。扉を開けて中に入ると、数人の方々が説明を受けてていました。1階の突き当りにお鈴金魚がありました。上からお金を入れると鈴が鳴って、お金は下に落ちます。良い音が出ると幸運があるとのことで、みんなお金を入れました。私も入れてみました。下に落ちたお金は回収できます。次に二階に行って故松島詩子の遺品を見学しました。
 街並み資料館を出ると、今回の史跡巡りは終わりです。参加された方々お疲れ様でした。

      柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース

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クルミの皮を剥いて、コースターを試作

2023年01月23日 | 綿栽培,糸つむぎ,織り,染色

 最近クルミの皮で籠を編めることを知りました。我家にクルミの樹があるのに、実を食べる事にしか利用していませんでした。そこで、クルミの皮を剥いてみましたが、そのままではうまく剥けません。楮のように熱湯に浸ければ、うまく皮が剥げるのではないかと思いました。試しに鍋に熱湯を沸かしてクルミの枝を浸してみました。すると、何とまあクルリと綺麗に剥けるではありませんか。
  その剥いた皮を使ってコースターを試作してみました。近いうちにドラム缶を加工して熱湯を沸かせるようにするつもりです。そうすれば、シダの枝を熱湯に浸けられるのに加えて、たくさんのクルミの皮を90cm以上の長さに剥けます。籠を編めるようになるかも知れません。

         剥いたクルミの皮を使って試作したコースター


 去年クルミをだいぶ伐採してしまったのは残念でした。残ったクルミの樹の枝を、鍋の大きさに合わせて20cm間隔でチェーンソーで切り落としました。そして、その枝を鍋に入れてぐつぐつ煮込みました。煮ているとお湯がだんだん茶色に染まってきました。1時間位煮込んだところで、クルミの枝を取り出しました。

 枝を切ったクルミの樹    チェーンソーで切る   ぐつぐつと煮込む
  

 慎重に取り出すと、ナイフで枝の皮を上から下へ一直線に切り込みを入れました。そして、熱いながらも指を使って皮をめくると、くるりと皮が剥けました。剥けた皮は長方形の形をしています。その皮に1cm間隔で印をつけてから線を引きました。そして、その線に沿ってハサミで切りました。柔らかいので簡単に切れました。

 めくるように皮を剥く    剥いたクルミの皮   キリで1cm間隔で線引き
  

 今回、鍋に入る大きさでしかクルミの枝を煮ることができませんでした。そのため、20cm位の長さのクルミの皮しか剥けませんでした。この長さではコースター位にしか編めません。ドラム缶を加工して熱湯を沸かすことができれば、90cm位のクルミの枝を煮ることができます。すると、90cm位の長さの皮を入手できます。そうすれば、籠などを編むことができるのではないかと思います。
 ※5,6月頃の季節、クルミは煮なくても皮を剥くことができるそうです。

幅1cm長さ20cmになるよう皮を切る   皮を作って試作したコースター(裏側)
 

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柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(3/4)

2023年01月22日 | 歴史探訪他ウォーキング

 これまで何度か柳井高等女学校跡碑を探しに来たことがありましが、なかなか見つけることができんでした。ところが、下見の時に柳井市中央公民館の方に聞いて初めて碑の場所が分かりました。碑は中央公民館と柳井市体育館(バタフライアリーナ)の間に挟まれた場所にありました。しかも、見下ろさないと分かりません。
 続いて、柳井川の下流に沿って歩きました。宝来橋を過ぎて少しすると、立派な立像の愛宕地蔵尊が安置されていました。このお地蔵様は別名火伏地蔵とも言われています。江戸時代に大火に見舞われた方々を弔うお地蔵様のようです。このような火伏地蔵が柳井市にたくさん残されています。それだけ、柳井は頻繁に火事がおきたのでしょう。

       岡の上公園で昼食兼休憩をとる、冬の日差しが暖かく


 さらに柳井川を下りました。この柳井川は江戸時代初期は海岸でした。この海岸に沿って商家が立ち並んでいました。その海岸に突き出るように雁木が並んでいました。もちろん、船が着岸できる船着き場もありました。雁木は20年位前の工事で無くなりましたが、船着き場跡は今でも残されています。続いて柳井川を下っていると、道しるべの石柱がが立っています。田布施方面と平生方面を指し示しています。

 柳井高等女学校跡碑     立派な愛宕地蔵尊    田布施平生への道しるべ
   

 道しるべを見終わると、道を左にとって姫田川上流に向かって歩きました。少し歩くと端相寺が見えてきました。このお寺は江戸時代初期の古地図に載っているため、400年以上続いていることになります。端相寺内を少しばかり見学すると、姫田川をさらに上流に向かって歩きました。すると、斎藤道場と三宝荒神社が見えてきました。

   江戸初期にすでにあった端相寺      斎藤道場と三宝荒神社
 

 姫田川を逸れて、次に岡の上公園に向かいました。到着した頃正午でした。そのため、公園内に置かれている長椅子に座って昼食休憩をとりました。風もなく日差しが降り注いでいたため、暖かく休憩することができました。西側の眼下を見ると、柳井市街を広く見渡すことができました。東側の眼下を見ると、茶臼山古墳や柳井湾を広く見渡すことができました。40分位休憩したでしょうか。日差しが弱くなり少し寒くなってきたため、重い腰を上げて次の史跡に向かうことにしました。

      柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース

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今年最初の放課後学習 成器塾、「裁縫と調理」クラスで手回し製粉

2023年01月21日 | 歴史探訪他ウォーキング

 

 今年も小学校の放課後学習 成器塾が始まりました。私が教えているのは成器塾の「裁縫と調理」クラスです。去年はもっぱら刺し子などの裁縫でしたが、ようやく調理を教える時がやってきました。調理と言っても、今回は小学生が容易に調理できるお汁粉です。
 私が重視しているのは素材から手作りすることです。今回はお汁粉の中にいれるお団子の元になる粉を製粉してもらいました。もち米を製粉して白玉粉に、うるち米を製粉して上新粉にしました。手回しで製粉したことがない子供達でしたが、全員楽しそうに製粉作業をしていました。また、10月に畑で収穫した小豆を、鞘から取り外す作業もしてもらいました。

         もち米の製粉をしながら、ふるいで粉を選別


 今年度の成器塾「裁縫と調理」クラスの生徒の中に、昨年度に引き続いて同じクラスに来ている生徒がいました。つまり、去年度の手回し製粉を経験している生徒がいました。そのため、今回は手回し製粉機の組み立てを最初にしてもらいました。生徒さんは最初戸惑っていましたが、私のヒントで難なく組み立ててくれました。組み立てが終わると、上新粉を作るチームと白玉粉を作るチームに分かれてもらいました。チームが決まると、うるち米ともち米を渡して製粉作業を開始してもらいました。

 もち米を白玉粉に製粉   うるち米を上新粉に製粉  鞘から小豆を取り外す
  

 なお、お汁粉には小豆が欠かせません。製粉機を回して腕が疲れた生徒には、鞘から小豆を取り外す作業をしてもらいました。一時間半ほどの作業でした。生徒さん達はワーワーキャーキャー言いながら、楽しそうに飛び回って作業していました。お汁粉を、粉作りや小豆取りからするのは初めてだったようです。新鮮な体験だったと思います。次回はお汁粉に入れるお団子作りから始めてもらおうと思っています。

   何度も製粉を繰り返して細粉に    ふるいを通して細粉を選別する
 

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柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(2/4)

2023年01月20日 | 歴史探訪他ウォーキング

 柳井商業工業高校跡地は以前、広い空地でした。ところが、今回行ってみると新しい図書館の建設中でした。以前、図書館を新設するかしないかで議会がもめていたように思います。その後、新設することに決まったのでしょう。おそらく駐車場が広く、喫茶店などがある総合施設に近い図書館ができるのではないでしょうか。
 その建設現場入口の門には覆いがしてありました。その門は、柳井商業工業高校を示す立派な門です。図書館が完成した後、その門はどうなるのでしょうか。気になるところです。私としては柳井商業工業高校跡地記念碑として残して欲しいと思っています。

     柳井高等女学校跡地にかつて2年間だけあった戦時保育園跡碑


 建設中の図書館を出ると、柳井川を渡って柳井学園方面に歩きました。そして、十字路に今でもある美幸食堂に行きました。この食堂は昭和の雰囲気が漂います。数年前に行った時、婆様が一人で調理していました。懐かしいお好み焼きの味がしました。地元に愛されているようで、次々に地元の方が食べに来ていました。続いて、旧斎藤道場横を通りました。斎藤道場は今、姫田川沿いに移っています。

   建設中の図書館     懐かしい美幸食堂     旧斎藤道場の建物
  

 旧斎藤道場前の通りは昭和を思わせる建物が多くあります。また、昭和の時代に信仰されていたであろう不動堂跡がありました。しかし、お堂の中を覗いてみると何もありませんでした。信仰を支えたであろうお地蔵様もありませんでした。この周辺は静かに変わりつつあるようです。文具を売っていた藤坂屋は看板が外されて、文具が見えたショーウィンドウは全て雨戸に変わっていました。

  部屋の中に何もなかった不動堂    看板が無くなっていた文具店藤坂屋
 

 次に、柳井高等女学校(現柳井高校)跡地に行きました。そして、その傍にある柳井戦時保育園ほまれ園(昭和19.2~21.3)跡地を訪れました。ちなみに、うちの婆様は昭和19年3月に同女学校を卒業しました。婆様に聞いてみると、この戦時保育園のことは記憶にないそうです。卒業する直前に開設されたため覚えていないのでしょう。婆様の一つ後輩達が児童を世話したようです。
 婆様は卒業後の4月からすぐに、当時の馬皿尋常高等小学校(現柳北小学校)に18歳で教諭として勤め始めました。次の年の終戦時、アメリカ軍が来たそうです。最初怖かったそうですが、実際のアメリカ兵は礼儀正しかったとのことです。

      柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース

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古い足踏み縄綯い機を修理・調整 わら縄を綯う

2023年01月19日 | 歴史探訪他ウォーキング

 

 10年以上前に使っていた縄を綯うための足踏み縄綯い機の修理・調整を続行しています。20年位前、この機械で大学生などに縄綯いを体験してもらっていました。10年以上使っていなかったためあちこちに錆が出ていました。しかし、油を差すほどに動くようになりました。縄を綯うための2軸機構が特に硬かったのですが、浸透性油を注入するとよく回転するようになりました。最終的にマオランの繊維で紐を綯いたいと思っていますが、まずはわらで縄が綯えるように調整してみました。すると、ことのほかよくわら縄が綯えることが分かりました。

     両足でリズミカルに足踏み縄綯い機を動かし、わら縄を綯う


 いろんなメーカーの縄綯い機がありますが、一番大事な部分はわらを吸い込む部分です。たくさんの薄い鉄板が仕込まれており、わらを綯います。吸い込み口は二ヶ所あり、そこにわらを次々に挿入します。二ヶ所で綯われたわらは、回転する太鼓によってよじられながら巻き取られます。10年ぶりに縄を綯いましたが、やや太鼓の回転数を速めた方が良いようです。あるいは巻き取りの速さを遅くした方が良いようです。

  わらを吸いこむ口     わらを綯う機構     縄を巻き取る通路
  

 最終的にマオランの紐を綯いたいと考えています。そこで、一度ばかりマオランによく似たユッカの葉で紐が綯えないか試しました。すると、ユッカの葉には何か潤滑する葉液があるようです。次の葉が吸い込みません。もう少し葉を細かく裂いた方が良いのか、綯う前に一度煮た方が良いのか、あるいは葉の表面をざらざらにする処置をした方が良いのか、など思案しています。マオランやユッカで紐が綯えなくても、わらで紐が快適に綯えることが分かったので十分かもしれませんが。

     綯った紐を太鼓に誘導        綯われた縄、やや太いか
 

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我家の蝋梅、今年も元気に開花

2023年01月18日 | 花,野草

 畑の隅っこに植えてある蝋梅が今年も元気に咲きました。私が田布施に帰る前に、亡き父親が植えたようです。蜜蝋を薄く平に伸ばしたように見える半透明な黄色の花弁が特徴です。以前、私は蝋梅と紅梅を間違えていました。蝋梅の事を紅梅と言っていました。恥ずかしい限りです。
 ところで、10年ほど前に田布施に持ち帰った福寿草が今頃開花していました。しかし、田布施の気候が合わないのか雑草に負けて5年位前に消えてしまいました。園芸植物は常に気にかけていないと、枯れたり虫に食われていつの間にか消えてしまうのです。

            今年も綺麗に花を咲かせた蝋梅


 ところで、蝋梅が咲き始める頃から日照時間が長くなります。そのためか、畑や庭が少しずつ雑草の緑で覆われてきます。特に、カラスノエンドウはどんどん育ちます。このまま放置していると、3月頃になると始末に負えないほど背が高くなります。そのため、今の時期に軽く草刈りしたり地面を耕運しておくと、その後の畑の管理がやりやすくなります。

     半透明な蝋梅の花弁        枝に散らばって咲く花
 

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柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(1/4)

2023年01月17日 | 歴史探訪他ウォーキング

 史跡を巡るウォーキングでは、山を歩くことが少なくありません。それは、神社仏閣が山の中腹にあることが多いからです。今回は、神社仏閣ではなく昭和の雰囲気を懐かしむため柳井市街の古い建物を中心に歩きました。そのためほとんど平坦な道でした。
 私と一緒に歩いたのはほぼ同年齢の方々ばかりです。そのため、記憶にある昭和を思い出しながら歩きました。昭和40年代に柳井商業工業高校を卒業した方々は、特に懐かしかったようです。無くなったプール,料理屋の亡き先代さん,デパート跡,文房具屋跡,そして思い出の通学路などの懐かしい話が飛び交いました。

     柳井市街の昭和の懐かしい建物や通りを訪ねるウォーキング


 JR柳井駅から西に歩き始めると、民家の細い通りに入りました。この細道は地元の方しか歩かないレアな道です。その道をしばらく曲がりくねりながら進むと、昭和な民家がありました。母屋と風呂小屋が離れている民家です。今はお風呂は家の中に一体化しています。しかし、昭和の時代は風呂は母屋とは別にありました。または家の隅っこや廊下の端にありました。そのため、私が子供の頃、真夜中に裸電球1本のお風呂に入るのが怖かったくらいです。トイレも外にあったり廊下の突き当りにありました。

 昭和史跡巡りスタート     母屋と風呂小屋     小川と洗い場
  

 小川の傍に洗い場がありました。冬の小川には水が流れていますが、夏は水が滞留して綺麗とは言えません。昭和の時代、この洗い場で収穫した野菜や食器などを洗ったのではないかと思います。ちなみに昭和時代の我家は手押し式井戸ポンプで水を出しながら収穫した野菜を洗っていました。また、水甕に入れた水を使って食器を洗っていました。昭和40年後半になって、ようやく電動ポンプに切り替わりました。以降、水汲みなどの労働が無くなりました。

             調理と裁縫学校の跡          柳井学園に沿う側溝
 

 線路脇を通っていると、調理と裁縫の専門学校跡がありました。今回のウォーキングに参加した方の一人は、この専門学校に通って調理と裁縫を習いながら花嫁修業したそうです。「花嫁修業」の言葉は昭和ならではの言葉でしょうか。
 その後、柳井園芸裏を通って柳井学園の裏門に出ました。そして、傍の側溝道を通りました。その側溝を覗き込むと、たくさんの川シジミの殻が散乱していました。どうも川シジミが生息しているのではないかと思います。いつか来て、川シジミがいるかどうか確認したいと思います。

      柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース

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