Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

霜の朝

2016-12-04 | Walk on

 

最低気温が5℃くらいまで下がると、放射冷却で霜が降りる。

霜注意報は出ていないけれど、近郊の里山なら見られそうだ。

もう一点、メタセコイアを朝の光で撮りたかった。

丘陵公園までの道は、霜が降りた後の朝露で光っていた。

山沿いの日蔭なら、まだ残っているだろう。

その前に朝陽で輝くメタセコイアだ。

メタセコイアは黄金色のピークを過ぎて赤茶に変わろうとしている。

透過光の角度をいくら工夫しても、もう燦々と輝く光の樹は現れない。

天然の色彩の輝きは、ほんの僅かな期間だけ…

前回の色が今年のピークだったようだ。

朝の公園で、野鳥撮影の鳥ヤさんに会った。

私も以前は、熱心なバードウォッチャーだったので鳥ヤさんを見つけると声をかける。

夏は高い山にいる青い鳥、ルリビタキが冬場は里に降りてくる。

近郊のルリビタキ観察ポイントを教えて頂いた。

ありがとうございます。

赤い鳥、オオマシコは、やっぱり四国では稀で、出会えるのは高い山に限られるそうだ。

堀之内公園で観たという情報は、予想通りベニマシコの間違いだろう。

話し込んでいると時間の経過が早い。

さすが10時を廻ると、山影に残る霜も融けている。

たっぷり露を纏った草叢に光が射し、虹色に輝いていた。

七色の光が躍る草の露を、心ゆくまで撮影。

私は光モノに弱い(笑)

(最後の二枚は前日の夕暮れの光で撮影)

 


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7 コメント

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 (鬼城)
2016-12-04 17:55:04
いつもランスケさんが言っているように、写真は光!光のマジックですね。それをどのように切り取るかは感性だろうな。霜、宇和島ではまだ見ることが出来ません。例年より暖かなのかな?メタセコイア、宇和島地方ではあまり見ることが出来ません。知らないのかも・・・さあ、今年もあとわずか。
雨の日曜日 (ランスケ)
2016-12-04 19:46:13
雨の日曜日でしたね。
今日は雨音を聴きながら、週末にまとめ買いしておいた本を読んで過ごしました。

紅葉も終わってしまいました。
メタセコイアも銀杏も楓も、はらはらと散ってゆきます。
彩の消えてしまったこれからの季節は寂しいですね…
無彩色の季節には、霜や氷や霧氷を透過する光を追い求めましょうか?

身体論を読んでいると、
日本文化が体系づけられた室町時代の身体運用の粋、
禅、能、茶の湯を比較しています。
鬼城さんもよくブログで紹介する茶の湯って、
視覚、聴覚、味覚、触覚の五感をフルに活用する身体運用の洗練の極みなのですね。
武道を始め、身体を運用する他の文化にはない特異な五感を全て使う技芸だそうです。
本当に知らないことばかりで、恥ずかしくなってきます。
学ぶということは、無知の自覚ですね(汗)
だから教育に対価やサービスを求める昨今の傾向は、どう解釈したらいいのか?
不可解です。
教育は不可解 (鬼城)
2016-12-05 08:42:26
教育に携わっていた自分にも不可解です。
何処へ向かっているのか。
政権、それとも未來、またしては個人の考え?
教育は迷走しています。
子ども抜きの論点ばっかり・・・
全て大人(有識者と呼ばれる人たち)の考えの中で行われています。
実際、子どもたちに触れていない、大学の教授やどっかの大会社の会長さんばっかりが改革を叫んでいるようではだめになります。
最近特に感じることを書きました。
学ぶことの悦び (ランスケ)
2016-12-05 11:12:45
長年、教育の現場で直に子供たちと向き合ってきた鬼城さんの実感なのでしょうね。
政治や産業構造の変化によって右往左往しなければならない教育現場も大変ですよね。

私も、この年になって学ぶことの悦びと、掬ってもすくっても掌から零れ落ちる知識の儚さを知りました。
中国の故事にあるように教えを乞うという関係性は、
圧倒的に非対称な関係ですね。

そういえば、カストロのキューバは教育も大学まで無償でした。
医療と教育を無償化できたということは、安心と平等の実現ですよね。
本当のところ、あのキューバという国は、経済封鎖されて貧しい国でしたが、どうだったのでしょうか?
私たちが知る共産主義独裁国家の恐怖政治とは違う顔が見えてきます?
資本主義の終焉とその後 (ランスケ)
2016-12-05 14:56:21
汎用AIが拓く未来というこの記事は、とても興味深い内容です。

http://synodos.jp/newbook/18674

こういう形で資本主義は終焉を迎えるのかもしれません。
何も希望を見い出せなかった未来に、少し光が差してきた気分です(笑)
以下のバタイユの言葉の引用が象徴的です。

有用性にしか尊厳を見出すことのできない哀れな近代人を、バタイユは次のように批判しています。
「天の無数の星々は仕事などしない。利用に従属するようなことなど、なにもしない」と。
人間の価値は有用性にはありません。
人の役に立っているか、社会貢献できているか、お金を稼いでいるかなどといったことは
最終的にはどうでもよいことなのです。
目が覚めました (misa)
2016-12-06 08:53:26
私、迷子になっていたようですね
心ある助言に感謝です
以前はあれこれ試行錯誤して時間をかけていたのですが
最近はピントの確認すらせず

昨日は今年最後の里山歩きをしてきました
太陽が最も高い時間なので(友人に合わせて)
大したものは撮れませんがこれも付き合いです

冷え込んだ寒い休日はひとり早起きして山深く分け行ってみなければと思います
そんなに高い山でなくても被写体は有ると思います
ものをよく見ること忘れてました

今日も忙しい休日になりそうです
その瞬間を待ちましょう (ランスケ)
2016-12-06 10:31:42
misaさん、写真の撮れない時期はあります。
ボチボチゆきましょう。

Eメールでも指摘したように、
なかなかモチベーションを維持してゆくことは困難です。
加齢と共に外界に対する好奇心も減退するようです、
だから意識的に野山へ出かけてゆくことを心掛けてゆきましょう。

光溢れる世界に触れると、根っからの写真ヤです。
自然に身体が反応するようになりますよ(笑)

今は無造作にしかシャッターを切れなくても、
対象を見つめてていると、とてつもなく美しいと感じる瞬間があります。
その光を捉える瞬間を待ちましょう。
写真は、何かが降りてくる瞬間があります。
間違いなく…

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