田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

買い物依存症と思われて・・・。

2015-03-31 02:42:28 | 日記

  思われても仕方がない。





 借金の返済で困っていると言いながら
 リサイクル家具店から次々と買い物をしていたので
 女房に買い物依存症と疑われ夫婦喧嘩をしてしまった。



 R依存症を克服したら
 今度は買い物依存症になったと思われるような
  そんな買い物の仕方だと疑われる訳は

    似たようなものを次々と購入したのにも原因があった。



 その一つの事例が
 アンティークのレコードプレイヤーを3個使い分けている。

 そのことは とっとくとして・・・、

 リサイクルセンターへ行く楽しみは

     骨董品の掘り出し物を見つけること。

 値札がついてないのを買ってきている。



   その一つが 重箱

  輪島塗と箱に書いてあったので

    三千円か五千円だったかで譲ってもらった。

    輪島産牡丹彫    漆器店・雅号も入った箱入り

  箱の上に乗っている  銅鏡と剣は貰ってきた。
   

  
 NHK朝ドラの
 希   が昨日から始まった。

  能登半島 輪島の近くだとドラマを見て急に思い出してブログにしている。


     人生はドラマである。

  夢を見る私にとって  希の生き方 は計画的に地道に

    それもしながら 夢を夢見る。

  還暦からの挑戦   人生は冒険である。
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借金返済

2015-03-30 03:16:15 | 日記
 
 三百万借りて倉庫の改造に使った。
 10年間で返済計画をたててもらった。
 収入にあてるつもりのマンゴーの収入が今年もゼロ、
 これでは返せるはずもないので弟に農地を売った。



 農地は父の生存中に分割して弟と私名義に登記してあるのと、
 父名義のが残っている。
 父名義の弟の土地に連続している箇所を買ってもらった。



 この土地は以前、弟が病気入院で困っているとき私が買っていた。
 同じ値段で買い戻してもらい、
 付添いに小さな畑も譲ることにした。



 こんな風に
 先祖から頂いた土地を親族で分割していくので、
 旧道沿いに親族の土地分布構造がみられる。

 それを図に表していって集落の移住経路の証明をすることができた。

 「与論島」琉球の原風景の残る島  与論島のタケさん。




   
 先祖の土地のお蔭でいざというときに担保することができる。
 有難い



 感謝。
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春の海

2015-03-29 03:56:13 | 日記

 ひねもすのたりのたりかな・・・・。

  

 カヌーの通り抜ける海の道




  先離れ」と呼ばれる岩

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バンブー竹の与論今昔

2015-03-28 04:07:50 | 日記


 呪文 とんちかとんちかとくわばらくわばら


 こどもの頃、祖母に聞いた話がある。
地震のときは「とんちかとんちか」と唱えるとのこと。
父は地震のとき運悪く便所にしゃがんでいたそうだ。
地震の被害はうけなかったのだが、厄除けのためしなければならなかったことが
あり、それを行うのが大変だったようだ。
それは、厄除けに田んぼを7か所変えて水浴びし、
身を清めなければなかった事だそうだ。
昔、家の前にはナガダ(長田)と呼ばれる段々の田んぼが広がっていて、
そこで水浴びして身を清めたと聞いた。
今は基盤整備されたキビ畑に変わっていて、稲刈り、とんぼつり、どじょうすくは
今はもう帰ってはこない遠い昔の想い出だ。
 また、こんなことも、
雷が鳴ったら、くわばらくわばらと言うそうであるが、
与論では「わーういやくわーぎ、くわーぎ」と言いながら木の下などに駆け込んで
雨宿りをした。
雑学辞典によると桑原という地方には過去に雷が落ちたことがないとの
迷信らしく科学的な根拠は全くないらしい。
唱えた方言の呪文は「私の上には桑の木があるから安心だ」との意味である。
何時の頃から伝わっているのだろうと思って興味がわいたので思い出した。
中学生の頃自宅の屋根の葺き替えを手伝ったことがある。
藁ぶき屋根の天辺を茅と丈夫な竹で円錐形に組んで仕上げにかかるが、茅を抑えるために
竹の束のワッカを作り台風で茅が飛び散る押さえに使う。
またそのワッカが飛ばないように抑える杭に竹と桑の木が使われていた。
桑の木の迷信が建築にまで及んでいたようである。
現在は、雷が鳴ったら高い樹の下は避けること。
金属を探知して落ちるのではないことは皆さんも承知の上、
車の中が逃げやすく安全だと思っている。


もう一つ忘れられないことは、
祖母と叔母が雷に打たれ、やけどで済んだけれど、
一歩となりを歩いていた方が命を落としたことである。
大金久海岸一帯の保安林を整備する造林事業に参加しての事故だったと聞いた。
その事故を気に病んでいると言って、監督だった方が訪ねていらした。
ハキビナと船倉の保安林を案内したが、どうしてもと言われお墓参りもしてもらった。
「これでこころのしこりがとれて安心して死ねる」と言われたのが印象に残っている。
 度重なる台風でそのモクマオウの保安林も何とも痛々しい姿になってしまった。
どうも寿命らしいが、
それに代わる在来のアダンやモンパやハマボウなどの造林もすでに進められている。
災害の予測は難しいが備えあれば憂えなしで少しづつでも樹を植える必要を感じる。
木を育てるのは10年、
人を育てるのは百年と言われる。
台風災害にあった今こそ植樹を通しての環境教育が待たれている。
我が子を育てるように樹を育てましょう。
これぞ人づくり。




小さい与論島だからできる
そして ちっさな与論がますます好きになる。

    バンブー竹

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飛行機の見送り

2015-03-27 03:53:41 | 日記

 飛行機の見送りは船に比べて
 別れを惜しむ気持ちが湧いてこない。



 機内に入ってしまうと顔が見えないし、
 滑走路から飛び立っていく飛行機に手を振っても
 相手がこたえているかどうかもわからずに
 こちらだけが取り残された気分になってしまうのは
 私一人だろうか。



 昨日は妻が孫と遊んでくるついでに実家にも寄ってくる
 一週間の旅に出た。
 バスガイドをしたお客さんも同じ便だったので、
 ついでに見送りしてサプライズを期待して待合室に入ったら
 高校生やらの見送り客でごった返していた。
 時間的に早いと思って
 ちょっと気になってる場所の写真を撮って帰ってきたら
 すでに搭乗口の待合室に移動したあとだった。



 仕方なく帰ろうと思ったが、
 屋上から声をかけてみようと思って
 飛行機の出発点検の様子などをみながら
 長らく待ったかいがあって、
 見送る相手が気付いてくれた。



 旅の思い出のなかに与論島での飛行機の別れシーンが
 お客さんの一人の心の中にでも留まれば
 もう一度お越しいただけるかもしれない。


 
  
 沖縄便で農大の先生らがお越し下さった。
 ついでだったがお会いすることができた。


 肝心の女房のことは忘れていた。
 本当に搭乗したしたのか
 メールも届いてない」と思ったら、
 アプリから消えていたのだった・・・。



 最初の勤務地がこの飛行場



 出会いと別れの場面を そして飛行機の安全運行を
 三年あまり見守っていたのだった。



  いい日旅立ち!

 また逢う日まで・・・。
  
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