JRA HISTORY 1954-2021 JRAレーシングプログラムから
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/1f/2e640a370d8460293cdee78acb0e1d67.jpg)
個人的思い出 日時等の責任はモテマセン!
1954年(昭和29年)未だ生まれていません、終戦が昭和20年戦後9年目
1959年(昭和34年)ハクチカラ号アメリカ遠征、人の海外移動ですら大変な時代に関係者の尽力はいか程か?
今も海外遠征をおこなっている野澤組で移動したそうです。
のちにインドで何頭かのクラシック馬をだし当地で死亡、
門別競馬場観戦時の厩務員等はインド系の関係者多し、大手牧場以外は海外の人が多数働いているそうです。
1993年(平成5年)この年牡馬クラシック当初はビワハヤヒデ・ウイニングチケットの2強でしたが、
皐月賞『ナリタタイシン号』から3強と言われ
ダービー『ウイニングチケット号』
菊花賞『ビワハヤヒデ号』
1頭抜けた存在もいいが強い仔が数頭って盛り上がります。
葦毛のビワハヤヒデが菊花賞馬になったこの日
1992年の有馬記念での骨折から闘病していた葦毛の『サンエイサンキュー号』が亡くなっていた事をしりました。
月刊誌優駿に闘病中の写真が載って回復に向かっているのだと思っていての悲報でした・・・
白さの増した顔を壁からひょっこり出していた写真、震える程の理不尽な思いが未だにあります。
私はゲームは全くしないが、皆が楽しんでいるウマ娘に出て生き生き駆け抜けてと!考える。
1994年(平成6年)ナリタブライアン号三冠馬この旧4歳時のナリブーの強さは特別でした。
私の中での最強馬は未だにナリタブライアン号です、大げさな表現では黒ヒョウのようでした。
1996年(平成8年)
花の12期生と呼ばれた 増沢由貴子さん・田村真来さん・細江純子さん、この方たちが居ていまがあります、JRA女子の先駆者。
13期生に清水久詞調教師と結婚した押田純子さん、清水調教師のお父さんは『カルストン』の冠号馬主清水貞光氏
清水現調教師は濱田厩舎で厩務員としスタートし『ファレノプシス号』を担当、この仔がキズナの15歳離れた半姉になり
調教師とし開業した当時押田さんも調教に乗っていた記事が出ていました、順調に勝馬が増えて『トウケイヘイロー号』
から『キタサンブラック号』に!今では勝鞍の多い厩舎です。
2001年(平成13年)馬名表記を数え年から満年齢に変更
つい最近かと思ったら20年も前でしたか@@
2003年(平成15年)安藤勝己地方競馬騎手から初めて中央競馬騎手免許
G1を幾つも勝ち2013年(平成25年)引退、引退後メタボちゃんと本人弁
Twitter等や競馬場のイベント出演多数
遡る事1995年(平成7年)交流元年と言われたこの年桜花賞へのトライアル競走・報知杯4歳牝馬特別に地方から『ライデンリーダー号』で参戦
語るも可笑しい位に強い競馬をしました。
2005年(平成17年)戦後初の天覧競馬優勝は松永幹夫騎乗『ヘヴンリーロマンス号』人も馬も見栄えのする外見
語り草になっている馬のお辞儀。ターフの緑・JRA職員の赤いジャケット・水色と赤の勝負服一幅の画です。
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18.1秒(日本時間)
クラシック皐月賞は変則で東京競馬場、ダービーはドロドロの馬場。三冠馬『オルフェーヴル号』に似合いのシチュエーション。
2016年(平成28年)海外競馬勝馬投票券発売、2021年の今も一部G1のみ。
2019年(4/31まで平成31年 5/1から令和元年)女性騎手減量制度(斤量)
ワタシの想いでは競馬と共に![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eto_uma.gif)
これからも続きます、馬が居て馬が好きで(´∀`*)ウフフ楽しい。
因みに競馬観戦の序に観光もしています。
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個人的思い出 日時等の責任はモテマセン!
1954年(昭和29年)未だ生まれていません、終戦が昭和20年戦後9年目
1959年(昭和34年)ハクチカラ号アメリカ遠征、人の海外移動ですら大変な時代に関係者の尽力はいか程か?
今も海外遠征をおこなっている野澤組で移動したそうです。
のちにインドで何頭かのクラシック馬をだし当地で死亡、
門別競馬場観戦時の厩務員等はインド系の関係者多し、大手牧場以外は海外の人が多数働いているそうです。
1993年(平成5年)この年牡馬クラシック当初はビワハヤヒデ・ウイニングチケットの2強でしたが、
皐月賞『ナリタタイシン号』から3強と言われ
ダービー『ウイニングチケット号』
菊花賞『ビワハヤヒデ号』
1頭抜けた存在もいいが強い仔が数頭って盛り上がります。
葦毛のビワハヤヒデが菊花賞馬になったこの日
1992年の有馬記念での骨折から闘病していた葦毛の『サンエイサンキュー号』が亡くなっていた事をしりました。
月刊誌優駿に闘病中の写真が載って回復に向かっているのだと思っていての悲報でした・・・
白さの増した顔を壁からひょっこり出していた写真、震える程の理不尽な思いが未だにあります。
私はゲームは全くしないが、皆が楽しんでいるウマ娘に出て生き生き駆け抜けてと!考える。
1994年(平成6年)ナリタブライアン号三冠馬この旧4歳時のナリブーの強さは特別でした。
私の中での最強馬は未だにナリタブライアン号です、大げさな表現では黒ヒョウのようでした。
1996年(平成8年)
花の12期生と呼ばれた 増沢由貴子さん・田村真来さん・細江純子さん、この方たちが居ていまがあります、JRA女子の先駆者。
13期生に清水久詞調教師と結婚した押田純子さん、清水調教師のお父さんは『カルストン』の冠号馬主清水貞光氏
清水現調教師は濱田厩舎で厩務員としスタートし『ファレノプシス号』を担当、この仔がキズナの15歳離れた半姉になり
調教師とし開業した当時押田さんも調教に乗っていた記事が出ていました、順調に勝馬が増えて『トウケイヘイロー号』
から『キタサンブラック号』に!今では勝鞍の多い厩舎です。
2001年(平成13年)馬名表記を数え年から満年齢に変更
つい最近かと思ったら20年も前でしたか@@
2003年(平成15年)安藤勝己地方競馬騎手から初めて中央競馬騎手免許
G1を幾つも勝ち2013年(平成25年)引退、引退後メタボちゃんと本人弁
Twitter等や競馬場のイベント出演多数
遡る事1995年(平成7年)交流元年と言われたこの年桜花賞へのトライアル競走・報知杯4歳牝馬特別に地方から『ライデンリーダー号』で参戦
語るも可笑しい位に強い競馬をしました。
2005年(平成17年)戦後初の天覧競馬優勝は松永幹夫騎乗『ヘヴンリーロマンス号』人も馬も見栄えのする外見
語り草になっている馬のお辞儀。ターフの緑・JRA職員の赤いジャケット・水色と赤の勝負服一幅の画です。
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18.1秒(日本時間)
クラシック皐月賞は変則で東京競馬場、ダービーはドロドロの馬場。三冠馬『オルフェーヴル号』に似合いのシチュエーション。
2016年(平成28年)海外競馬勝馬投票券発売、2021年の今も一部G1のみ。
2019年(4/31まで平成31年 5/1から令和元年)女性騎手減量制度(斤量)
ワタシの想いでは競馬と共に
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因みに競馬観戦の序に観光もしています。