![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/79/6b6bcd72920a3df4f2ad2268f712ac8a.jpg)
『流れる星は生きている』藤原てい著
著者は新田次郎氏の妻
終戦時に中国「新京」から北朝鮮38度線を越え釜山にて船で博多港
博多から実家の上諏訪までを3人の子供と引き上げてきた記録。
1945年昭和20年8/9 中国新京(現:長春)から引揚げ
1946年昭和21年9/12 博多上陸
シラミの卵がシャツ等の縫い目を覆いつくす程卵が産みつけられると、ボタンの穴もシラミで埋まり・・・そんなシャツを身に着けるしかない環境。
引揚げ者の飢餓・理不尽に不運と幸運、著者の様に幼子を連れていると排便問題が、飢餓で下痢垂れ流すしかない子達に不平をぶつける第3者。
着替えの下着も無くオムツも数枚、周りから臭がられここで下車していたら帰国は叶わなかったのではないでしょうか。
自身の気性を「冷たく激しい」と!そうであったから男さえ生き倒れるような道を歩きとおせたのでしょう。
絶対個人主義で「自分の事を先ず考えないで、人の団のことなんか・・・」で通した、宮本団の徳島氏「かっぱおやじ」に様々な悔しい想いをしてきたが、
上陸出来たのはこの団のみと書いてあり。非常時の生き残りに必要な事はと考えさせられた。
現地の人がパチカ(瓜で作った容器、検索をするとヒョウタン)に盛った白米のお握りを「パンモグラ」「パンモグラ」(ご飯を食べなさい)と、
ナケマス
『敗戦民の中での生き抜く為の戦いに勝った母親』
先日から家電を買い替えて片付け途中あ~あ(/ω\)イヤン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eto_uma.gif)