すがわらの工房日記

東北は岩手県一関市の呉服屋。こつこつと友禅染めをしています。

日高見国の時代

2015-05-31 17:39:11 | 歴史とか
皆さんこんにちは

こちら岩手県一関市の京呉服すがわらでございます。

東北にある小さな呉服屋ですが、店内の工房らくぜんで

きもの屋がきものを作っているんですよー!


ところで私の自宅の近所にある変哲の無いバス停なんですけど


天気が良かったので自転車で行って写真撮って来ました!
名前を「鬼屍骸」(おにしがい)と言います。

ババーン!
何とも強烈で凄まじい地名ですよね。

以前はもっと錆び錆で味わいのあるバス停だったのにいつの間にかこんな無表情な標識みたいなのに変わっていました、がっかり。


とまあ 今となってはバス停だけに名残りを留めていますが

元々この辺りは「鬼屍骸村」と呼ばれていました。


現在では「真柴」と改められた鬼屍骸村ですがこの地名にはもちろん謂われがあります。


かつてこの辺りが
大和朝廷によって「日高見国」と呼ばれていた時代、

仙台平野以北、宮城県と岩手県の県境のちょっとした峠を越えた、ちょうど一関市から北の北上川流域で

とても凄絶な戦いが繰り広げられたのでした。




何故に突然こんな話を始めたのかと言うとですね

実は私は地元のお寺の総代をさせて頂いてるんですけど

今年の正月、新年会に田村家の殿様がいらしてお話を賜ることが出来たんですよ。

何を隠そうそのお寺は祥雲寺と言って、もともとは田村藩(一ノ関藩)の菩提寺なんです。

そこで田村のお殿様がおっしゃるわけですよ

「自分は田村藩当主からすれば十七第目ですが、田村家当主としては五十六第目である。」と!
※記憶違いで一代か二代くらいの誤差があるかもしれないけど確かこのくらいでした。

そこで私は思う訳ですよ
「五六代ってどれだけ遡るんだよ・・」と

そしたら何と殿様は仰る訳ですよ
「私は坂上田村麻呂の正式な末裔である。」と!!!
あの征夷大将軍の坂上田村麻呂ですよ!!!!

私、知らなかったもんですからびっくりしましてね、
「ええっ!?、じゃあ、侵略軍じゃないですかね!」って隣の人にこそこそ話したら

隣の人もこそこそと
「だよね~。」って、この人も初めて知ったんですね。

そこからもう殿様の有り難いお話が田村家の輝かしい功績、なが~い歴史が語られて
乾杯の音頭がなかなか取れなかったんですけど
私にとっては非常に面白く有意義な時間でした。

という訳で、
何となくこの辺りの言い伝えとか気になって色々調べてみました。

鬼屍骸という地名もその一つでして

中々興味深かったのでご紹介したいと思います。


でも長くなったので次回まで続きます~。




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