すがわらの工房日記

東北は岩手県一関市の呉服屋。こつこつと友禅染めをしています。

本衣裳黒留袖のお披露目に行ってきました!

2015-06-29 18:25:05 | 作品紹介
みーなーさーん!
こんにちは!!

こちら岩手県一関市の京呉服すがわらでございます。

東北にある小さな呉服屋ですが、店内の工房らくぜん

きもの屋がきものを作っているんですよー!! ひゃっほう!


さてさて、テンション高めの私ですが、

実は行って来たのですよお舞台に!

あの引き裾の黒留袖のデビューを観劇に行って来たのですよー!


特別に楽屋に入れて頂き、開演前に幕の内側で写真を撮らせて頂きましたので
皆さんにもご覧に入れます、特別ですよ!

こちらです

ジャーン!

そして後ろ!

ババーン!


おわー、立派!素敵!!
裾までいっぱいに裏八掛まで浪を描いているので、
こうしてお召しになると波の中から現れたみたいで
和製ヴィーナスの誕生みたい、言い過ぎ?


そしていよいよ開演です


実はこの方、見ての通りとてもお若くて、
お名前を川門 恵(かわじょうけい)さんとおっしゃるんですけど
そう、男性なんですよ!


こんな風に綺麗な物腰で


艶っぽいです


もう一度言いますが男性です。


川門 恵さんは「劇団ともえ座」という劇団でご活躍なさっているんですが、
この度、「生涯この道で貫く。」という謂わば決意宣言のお舞台だったんです。

その決心の表明にと御誂え下さったこの留袖本衣裳だったんです。
そんな大切な御衣裳を手掛けることが出来たのは私の生涯の誇りです。

そういう訳で
いらっしゃる方々も幼い頃から恵さんを知っている縁も所縁もある方々で
会場も地元の小さな会館で、
とてもアットホームで暖かな雰囲気の中、
しかし恵さんの覚悟と決意の緊張感がひしひしと伝わるとても素敵なお舞台でした!

ともえ座の二代目も応援にいらして下さいました!川門 世昌(かわじょうせいしょう)さんです。

うひょー!
さすがは二代目、素晴らしかったです!
念のために言いますがこの方も男性、男です。

お二人とも演目の度に何度も衣装替えして、息つく間もない早変わりで
男になったり女になったり、素敵でかっこ良くて楽しい!

私達は家族でお邪魔しまして、小学生と保育園年長の子供も一緒に観たんですが
ずーっと食い入るように見入ってました。
妻に至っては帰ってからもしばらく興奮冷めやらぬ様子で
カレンダー見ながら今度の公演の予定とにらめっこしてましたね。

そんな訳で皆さん、
劇団ともえ座、機会があったら是非!
何と!秋には沖縄国立劇場でも公演するそうですよ!すげー!
観に行きたいなー!!


京呉服すがわらは東北の小さな呉服屋ですが、

着物が好きな方、楽しくお召しになりたい方のお手伝いを一生懸命しています。

気になった方はどうぞお気軽にお問合せ下さいねー。


★ 京呉服すがわら ホームページ ★

http://kimono-sugawara.jp/

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紙布の帯に「松竹梅」の友禅をしてみた!

2015-06-26 16:21:30 | 作品紹介
皆さんこんにちは

こちら岩手県一関市の京呉服すがわらでございます。

東北にある小さな呉服屋ですが、店内の工房らくぜんで

きもの屋がきものを作っているんですよー!


という訳で作品紹介です。

以前にチラッとお見せしていました帯地です、

実はこれ紙布でして、経糸は絹で、緯糸が和紙なんですよ。

ですから何とも独特の風合いがあるんですね

和紙はパルプと違って繊維が長く、
非常に柔軟で且つ強靭ですから衣類にも充分適しているんですよ。
絹糸との相性も良いんです。

ただ、絹用の染料でうまく染まるか不安で

今回は敢えて地色を先に染めてみたんですが、綺麗に染まりました。


これからこれに友禅して、蒸して色止めして、糸目糊を取って、水洗いして仕上げという流れですね。
いつもよりちょっと工程が増える感じ

仕上がったら落款をこう

ぎゅうぅぅ~っと捺して、

はい、出来上がり。



全体はこちらです。どうぞ!


竹のシルエットの中に松と梅、「松竹梅」の帯です。

地色は紫とピンクの中間あたり
友禅の色使いも全体的に綺麗な印象に仕上がりました。

素材も変わっていて面白いし、
季節も嫌わないので幅広い場面で締めて頂ける帯だと思いますよー



京呉服すがわらは東北の小さな呉服屋ですが、

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日本染織作家展行って来た!

2015-06-21 21:05:00 | 作品紹介
皆さんこんにちは!

こちら岩手県一関市の京呉服すがわらでございます。

東北にある小さな呉服屋ですが、店内の工房らくぜんで

きもの屋がきものを作っているんですよー!


さてさて、
日本染織作家展という全国公募展がありまして、
ジャンルとしては意外と少ない染と織りだけの全国展です。

大阪、京都、名古屋と各地を巡回し

最後は東京上野の東京都美術館でした。

今回私も出品させて頂いて、入選することが出来たもんですから

せっかくなんで子供を連れて行ってまいりました。

展示自体は19日の金曜日で終了しちゃってるんですけど、

ご報告です。更新遅くてごめんなさい。



久しぶりに家族でおのぼりさんしてきました。
林立するビルヂングに乗りなれない電車で終始興奮状態の子供をなだめながら

私にとっては何だか懐かしの都美術館ですが、これが会場風景


大英博物館展の横でなかなか雰囲気の良い展示会場でした。



会場では私、子供ほったらかしで興奮ひとしきりだったのですが

全ての出品作品が素晴らしく、まだまだ私の知らない技術の高みの世界を感じられ、
眼下に広がる地平の広大さが更に無辺になる様な興奮を覚えたのは幸福でした。

その様な中に私の作品を混ぜて頂けたのは本当に幸運で嬉しく思いました。

そんな訳で
私の出品作品をご紹介します。こちらです


桜に石垣、お濠の桜を描きました

表現の技術をまだまだ磨いていきたいと思います!



京呉服すがわらは東北の小さな呉服屋ですが、

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引き裾の黒留袖 出来上がりました!

2015-06-17 18:26:41 | 作品紹介
皆さんこんにちは!

こちら岩手県一関市の京呉服すがわらでございます。

東北にある小さな呉服屋ですが店内の工房らくぜん

きもの屋がきものを作っているんですよー!


さてさて、去年から色々な事があってずぅ~っと、お待たせしていた御誂えの黒留袖でしたが

ようやく、やっと、形にする事が出来ましたー!

こちらです、どうぞ!

ババーン!!



逆巻く波に松竹梅、花食い鶴が舞っています。

そして立ち上がる波濤の向こうから宝船がこちらに向かってやって来ています。




現時点で私の持てる技術の全てをかけて作らせて頂きました。

色々と至らない部分があり、ご迷惑をおかけしましたが、

ご依頼主様には大変喜んで頂き本当に「ほっ、」としました。


この様な作品を作る機会を下さった事を心から感謝しています。
本当にありがとうございました。


品物をお見せしながら緊張の中写真撮影したので写真はこれだけですが、

是非今度お召しになった所も写真に収めたいと思います。

機会がありましたらそちらもご紹介出来ればと考えています。


京呉服すがわらは東北の小さな呉服屋ですが、

着物が好きな方、楽しくお召しになりたい方のお手伝いを一生懸命しています。

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鬼屍骸村の史跡紹介

2015-06-11 14:59:14 | 歴史とか
今回でシリーズ四回目。
日高見の時代の残骸を眺めています。

色々写真を撮って来たので
せっかくですから鬼屍骸村の史跡をご紹介します。

これは地名の由来になっている石、鬼石です。すでにご紹介済みですね


石の中央の窪みは田村将軍の乗っていた馬の蹄の跡とか打ち据えた棍棒の跡とも言われています。



この石から国道を挟んで100メートル程東には鬼石を落としたときに飛び散ったとされる
『あばら石』が並んでいます。
これです。

それぞれに兜石、肋石、背骨等名前がついていて、
錆びた名札が添えてありました。

詳しい経緯は分りませんが、昔からそういう事になっている様子、
大武丸の家来の墓標という事なのでしょうか?
それとも土地の人々の記憶の目印なのか・・・

そしてこのあばら石から鬼石を望むと
ちょうど延長線上に鬼石井が有ります。


鬼石からちょっと西側に目を向けると線路が走っていて、的場(まとば)踏切があって、


的場という名前がついているという事は弓矢が雨の様に降り注いだ激戦地だったことを物語っています。
それか江戸時代に賭場(とば)だったか



的場踏切をわたって50mくらい北側に
鬼石を掘り出したとされる場所があって、ここです。
ここが鬼石井。


赤いマルでかこった辺りがそうです。線路を挟み矢印の辺りに鬼石があります。

掘り出した時に水が湧き出し、旱魃の時にも涸れなかった名水だそうです。


そしてこの土地の所縁と名水を求めて
明治9年と同14年の奥羽御巡幸の際にこの場所で御小休みされたことを示す『明治天皇小次遺跡』碑が建立されています


当時民家すら疎らであったはずの(現在もまばら)こんな所で
わざわざ小休止して井戸の水を飲んだんですね

やっぱ朝廷にとって歴史的に意味ある要所だったってことなのかしら?

明治天皇のご巡幸は
大政奉還で実権を取り戻した朝廷の建国の歴史をトレースしたんじゃないかな(適当)
当時発布された廃藩置県の県境を見るにそんな香りが見え隠れするのは私だけでしょうか?

鹿島神社とか鬼屍骸八幡神社とか他にも色々あったけど

まあこんな感じで
基本的に鬼石中心に色々ありました。


今回は調べだしたら楽しくなっちゃってキリが無くなってきて
図書館とかでずいぶん本を借りたりしました。

たまには地元の歴史に思いを馳せるのも悪くないですね

そういえば

今朝子供がセミを捕まえてきました。



もうすぐ夏が来ます

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大武丸の最期~

2015-06-09 14:01:41 | 歴史とか
皆さんこんにちは!

前回の続きです。

私が考えるに大武丸は一ノ関の県境は何としても死守したかったはずです。

何故ならこの峠さえ越えてしまえば目立った丘陵も峠も無く、

盛岡以北まで北上川流域の豊かな平野が広がるだけです。

こんな風に

そうなれば数で勝る大和軍を止めるのは非常に困難になります。戦況が一変してしまうからです。
そっから先は正直消耗戦です、事実そうなりました。


激烈な抵抗も無尽蔵に兵隊を派遣してくる朝廷軍の前に戦力差は明らかで
とうとう大武丸は坂上田村麻呂将軍に討たれてしまいます。

最後の日高見への侵入を許してしまった大武丸の無念さは如何ばかりか。
大武丸亡き後も一族は苛烈な抵抗を挑みましたがやがて全滅してしまいます。


この後坂上田村麻呂将軍は現在の一関市市街地にある八幡神社の位置に陣を敷きます。

そこを拠点に蝦夷の英雄阿弖流為との決戦、北上平野の平定が始まる事になるのです。
そんな訳でこっから先は歌舞伎とかでお楽しみ頂くとして


大武丸はよく戦いました。

~~~大武丸伝説~~~~

蝦夷の大武丸一族は大和の軍勢と果敢に戦いました。
まともに戦っても勝てないとみるや田村将軍は手を変え品を変え手練手管で追いつめます。

  ~ 中略 ~

捕えられた大武丸は首をはねられてしまいましたが、
なんとその首はかっと目をむいたまま飛び上がり
大和の兵隊に襲い掛かりました!

しかしやがて力尽きた首は瑞山の奥が沢を飛び越え、鳴子の辺り
現在の鬼首(オニコウベ)と呼ばれる里に落ちて息絶えました。
鬼越沢(オニコシザワ)の名はその時鬼が飛び越えた沢につけられたものだそうです。

~~~~~~~~~~~~~~~~

と言うのが大武丸伝説。

ぅぉお、、すっげえ!!・・・大武丸おっかねぇ!  



まあ、実際に首が飛んでったかどうかは別にしても

相当に凄まじい最期だったのは想像できます。

きっと鳴子も関係の深い土地だったのでしょう


そして首を討った後、屍骸を埋めたのが鬼屍骸村という訳です。
『 ~大武丸屍骸此処二埋葬候以来村名二罷成候由申し伝候。』の下りですね。

何しろ首だけになっても襲い掛かってきた大武丸の事ですから

残された体だって何時起き上がるかわかったもんじゃないです。

恐れた田村麻呂将軍は辺りにあった巨石を掘り出して、

大武丸の屍骸の上に落とし封印したのだそうです。


それが『鬼石(おにいし)。』
千二百年以上も前からそのままそこに今でも残っています。
写真撮って来ました!これです。


この石の下に大武丸様が・・・!!


かなり大きな石なんですが、周辺は田圃です
はじめから何事も無かったかのようにゆっくり時間が流れています


大和朝廷に組み入れられる事になってから米作が始まったわけですから

この石だけは避けて開墾したんですね。


夏草や兵どもが夢の跡・・・

片務的な正義と律令国家の錦の御旗の下に行われた征夷
理不尽と抗ったがために鬼と呼ばれたかつての英雄達がこの地に眠っています。
岩手県には他にも沢山の鬼の伝説が残されています。

既にバス停にしか確認できない鬼屍骸という地名に残るのは土地の記憶です。




他にも写真撮って来たので、あともう一回だけ続きます

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日高見国の蝦夷

2015-06-07 16:17:33 | 歴史とか
皆さんこんにちは!
こちら日高見国にある呉服屋、京呉服すがわらでございます!

という訳で前回の続きなんですけど


昔々ここいら辺の土地は日高見国と呼ばれ、人々は蝦夷と呼ばれていたんですが、
みんな平和に暮らしていました。

そこに朝廷軍が攻めて来てまあ、色々あったわけです
そこはもうご存知の方も沢山いらっしゃるでしょうからそちらにお任せするとして、


ところで蝦夷(エミシ)なんですが、

これが相当な戦闘力を持っていたみたいでして、

日本書紀にも

『蝦夷はこれ尤も強し~』とか書かれている訳です、他にも
『山に登ること飛ぶ禽の如く、草を行くこと走る獣の如し~刀を衣の中に佩く。』と

何と帯刀しているんですよ、鉄製の刀を持っていたんですね。
この辺りの舞草地区で生産されていた蕨手刀は後に日本刀の原型になったそうです。
刀の他にも弩(おおゆみ)と呼ばれる弩弓、いうなればボウガンですよ!すげー!!
それらを用いて馬に乗り、加えて彼等は完璧な騎馬民族だったようで
弓馬を用いた騎馬戦が大得意となれば
そりゃもう朝廷軍が手こずったのは当然と思います。



そこで蝦夷と言えばそう、皆さんご存知阿弖流為ですよ!

この方


けっこうおっかない顔してますが
いやいや、よく見るとなかなかのイケメンでございます。

私の中にも幾分かこの方と同じ血が流れてる、多分。

この阿弖流為と征夷大将軍の坂上田村麻呂の激戦が有名ですよね。

何やら今度歌舞伎にもなるようで

染五郎、勘九郎、七之助出演、歌舞伎『阿弖流為』公演決定!
だそうですよ。



この阿弖流為が大活躍してたのは有名ですが、何も強いのは彼だけじゃなかったんです。

田村将軍を徹底的に手こずらせ、最後の日高見国への進軍をギリギリまで食い止めた蝦夷の武将

その名は『大武丸』!

安永年間の「風土記御用書出」に確認できます。
『~田村将軍夷賊御退治賊主大武丸屍骸此処二埋葬候以来村名二~云々・・・』


阿弖流為が達国の岩谷を本拠地にしていた様に



大武丸はそこからそう遠くない山王窟を本拠地にしてた様です。
頑丈な門には魔よけの牛の生首が張りつけてあったそうで、
その辺の地は現在牛首戸と呼ばれています。


大武丸について、大正・昭和期の歴史学者の及川大渓によれば
「鈴鹿の山賊で大江山の酒呑童子を凌ぐ乱暴者、交通自在、人力をもって取り拉ぐ術が無かった。」んだそうで

そこで田村将軍は千手観音に祈請したり、手を変え品を変え、
酒に目が無いのを良い事に酒を飲ませてだまし討ちにしたりするんですよ。

あ、何かちょっと田村将軍のイメージ変わっちゃいましたね


とまあ、長くなったのでもうちょっと続きます~。






コメント (2)
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