今回の旅は親戚関係、福岡、熊本。鹿児島3県5か所のお墓参りと
宮崎の次姉を訪ねる旅。
五日目は
佐多岬近くの町に定年退職後帰省された、大先輩との約35年振りの再会
その後
中学三年時、父の転勤で社宅として1年間住んだ鹿屋市の家を探し、立ち寄り
最終目的地は、鹿児島市の実家で高校3年間お世話してくれた次姉の住む宮崎へ。
鹿児島市鴨池港 フェリー乗り場 待機場所にて
五日目、最初の仕事は5時起きて墓参り、以前は早朝お参りの人に必ず
出会ったのですが今回は誰にも出会わず、そしてお供えの花も生花が少なく
造花が目立つ。
高齢化による墓離れ、世代交代による墓じまいでしょうか?所どころ空地も、
気になるところ。
桜島 噴煙が鹿児島市内方向に
天気悪く、見通しもはっきりせず、残念。
6時30分に実家出発、約20分ほどで鹿児島鴨池フェリー乗り場に
垂水まで約40分の船旅、高校生のフェリー利用しての通学する姿見て
台風などの欠航時の授業不足は何で補うのか?興味も。
船上より手前の島は 沖小島
垂水~佐多岬間ほとんど信号機なく、遅い車が前をゆっくり走ったらもう大変!
そしていつもの道の駅、お買い物ツァーも健在!! 先々の道の駅訪ねると
バナナの木も育ってます。
その地区・地区の、伝統的食べ物、手作りのお土産も多く都会近くの道の駅とは
一味違います、楽しめる、退屈しない。しかも、お金は減り・荷物はドンドン増える。
困ったもの(笑)!
荒平天神 菅原道真公をお祀りしてます。
満潮になると渡れない様子でしたが。
佐多岬の町は昔、陸の孤島と呼ばれていた時期も、距離的にも鹿児島から遠く
道路が、凸凹、狭い、くねくね、未舗装で時間がかかったからでしょう。
今は道路も整備されトンネルも所どころ整備され快適に。
対岸の山川~根占間のフェリーも大型、増便され便利と聞いてます。
対岸の薩摩半島、指宿方面、開聞岳(薩摩富士)が錦江湾を挟み直ぐ前に見えるが
あいにく曇り、靄がかかり視界も今いちが残念。
写真中央には 対岸 薩摩半島 薩摩富士(開聞岳)が
うっすらと!天気悪く残念。
その開聞岳(薩摩富士)見て思い出したのが
高校2年の頃、父は鹿屋から開聞岳近くの頴娃町に転勤、母と弟・妹四人暮らし
私は鹿児島市内での高校生活、剣道三昧、土曜・日曜も稽古 両親の元へ
帰る機会少なかった。
この写真は最南端からの対岸 薩摩富士。
たまに都合がつくのは稽古を終えてからの夜がほとんど、会いたい一心で頴娃町の両親の元へ。
帰りは両親と少しでも長く一緒にいたかったのでしょうかどうしても夕方、夜の帰りに。
その時の思い出、強烈に
乗客ガラガラの一両編成のディーゼルカー。
無人駅に何駅か停車、
停車駅は人家、建物、雨除け、木々もなく周囲見まわしても真っ暗、
ある時は、夜のホーム、ディーゼルカーからの月明かりの開聞岳の
幻想的な姿を見た記憶も、・・美しかった。
時間調整か?ホームで停車時間の長い時も
そんな時やや薄暗い車内の灯りとディーゼルエンジンの音だけの世界、
少ない乗客が降りるとすぐ人けが消え本当の無人駅、無人列車に。
今から考えると旅情的、旅愁的なロマンチックな貴重な経験
既に高校生でしてたんですね。しかも体育会系男子が!!。
道の駅での地元の竹の子、なんという種類なんでしょうか?。
当時は確か、日本最南端の駅と書かれた細く貧弱な杭?が何気なくぽつんと
立っていた記憶がうっすらと。その最南端の無人駅近くの中学に通っていたという
指宿市か?開聞町?が故郷の読者の方から懐かしいとのコメントを頂きました。
懐かしがる気持ち良く理解できます。良い所です。本当にいい所。
大隅海峡、天気良かったら 種子島、屋久島、馬毛島も
望めるそうです、残念。 佐多岬灯台。
そして最南端の駅が「西大山」駅で現在有名になっていることも教えて頂きました。
そうでした・・・・そうでした。
ありがとうございました。
行ってみる価値十分! 読者の方も私以上に故郷に思い入れお持ちです。
その故郷から得られる優しい心はお互いいつまでも大切に持ちたいものです。
私もお薦めの場所です。
そしていよいよ佐多岬のすぐ近くに定年退職後大阪から帰省された大先輩と
約35年振りの対面、本当に喜んで頂きました。私も行って本当に良かった。
しかし、何年か前、左足に悪性腫瘍発症し車いすの生活にそれでも矍鑠と頑張って
おられる姿に「さすが私の尊敬する先輩」誇らしくと、驚きも。
片足ないのでもう剣道は無理ですが、もう91歳、いや、まだ91、頑張って頂きたい。
その後大阪に帰り礼状に写真同封し送ったら、お礼の電話頂く。
・・・・・人の縁とは奇なもの。大切に、大切にしたいもの、すべきもの。
大先輩宅、後にして、日本、本土最南端、佐多岬に、4年前は最北端の
宗谷岬行ってますので何とも言えない気持ちに・・・・観光客
少なかったので思わず二人、万歳ポーズの写真撮影。
こんな表示見たら4目年前の宗谷岬の写真出さなくては!
ここから2700キロ、武田鉄矢さんの「思えば遠くに来たもんだ」です。
ヒェッ~~ この間が2700キロ!! H26、7月 宗谷岬
天気悪く見通し悪く、岬に近づくにつれガジュマルの木のひげみたいな根っこが
道路端に見えたのが印象的。
当時は建物本体以外の工作物はなかった。
建物右端の場所にお風呂、土間などあった記憶が
左側、木の板 横に打ち付けている前が玄関入口。
左右の家は無くなり空地に。
そして中学三年時、父の転勤で社宅として私が1年間だけ家族と住んでいた
鹿屋市の家探し探訪へ。
その家、奇跡的に在りました。左右の家は無く空地に、間違いなく
約53年前私達家族が生活していたのです。よく木造なのに、感無量。
住んでいる感じしたので声かけず撮影だけで短時間に、だいぶ傷んでました
マタマタの道の駅、本当に多い。
地元お土産のオンパレード。
5日目ラストランは、雨が降ったりやんだりの
大隅縦貫道(無料区間)~~~~東九州自動車道(無料区間)~~~都城へ
そして宮崎自動車道経由~~~東九州自動車道、西都ICまで乗り継ぎ乗り継ぎで
どう走ったのかはっきりしませんがカーナビ任せで午後5時30分頃、姉夫婦宅到着。
少し疲れた~~~。
本日の走行 284キロ 給油18ℓ
本日もご訪問、最後までのお付き合いありがとうございます。
6日目は姉宅にもう一泊、宮崎観光です。