波羅蜜:パラミータとは「悟りの岸に到る」という意味です。ブッダが説法された寺院は、マガタ国の都ラージャガハの竹林精舎、コーサラ国の都シュラヴァスティの祇園精舎、マガタ国のクリドラクータ霊鷲精舎など5つが知られています。当時、竹林精舎などは、おそらく建物はなかったでしょう。『法華経』などの説法の舞台となった霊鷲精舎は小高い山の上で、ブッダや弟子たちは石窟の中で寝泊まりしていました。信者たちはブッダの説法を聴くために、川をわたり山の上まで登ってきました。その川が増水することもあったでしょう。信者たちは上流まで何十キロメートルも歩いて川をわたり、丘を登って精舎にたどり着いて仏陀の説法を聴きました。それで岸に渡る、パラミータという言葉が使われたと思われます。ブッダをこの目に見て説法を聴く彼らの態度は「柔和質直者」(心が温和で偽りのない人)であった」と『法華経』「如来寿量品」にあります。
前述の「仏陀の悟りに近づくために」で六波羅蜜の教えがあると述べました。これを大乗仏教が始まった当時、紀元前一世紀から二世紀ごろのインドの社会状況から考えてみましょう。当時は東西交易の発展していく時代で、盗賊に襲われた人も多かったのでしょう。『法句経』の翻訳で有名な仏教学者友松圓諦先生(1895~1973)は「当時の盗賊は軍隊並みの盗賊集団であった」と述べておられます。そこで仏教徒はどうしたか。これが「六波羅蜜」の原点です。これは私たちの本来そなわっているモラルで、規則ではありません。これに目覚めることが慈しみに目覚めることです。
六波羅蜜=悟りの岸に至る六つの徳目
*布施=お返しのできない者に施す
*持戒=他人の物を取らない
*忍辱=取られても怒らない
*精進=常に行う
*禅定=心が定まっていて疑わない
*智慧=心に自然に起きる