紀元前4世紀後半、アレクサンダー大王の東征によりギリシャ文化がパキスタン北東部伝えられました。大王はギリシャから石工そのほかの技術者を連れてきました。その後、仏教伝来により両者が融合し仏像彫刻が生まれました。これをガンダーラ美術と呼びます。頭初、彼らは石板にブッダの物語をレリーフに彫りました。その後、ブッダの苦行像のような形ができていきます。このギリシャ風文化はインドで紀元2~3世紀に栄え、その後、グプタ朝(4C~6C)時代にふくよかな形の仏画や仏像が流行し、これが中国、日本の仏教美術に大きな影響を及ぼしました。
もともと仏教徒はブッダの像を作りませんでした。尊いお方の姿を像にすることは失礼だと思われていました。それが、仏像ができてから仏教徒はそれまでよりずっと増えました。ガンダーラ美術がなければその後、仏教は広まらなかったことでしょう。
そこでエジプトやギリシャの彫刻とインドの仏像を比較してみるとその違いに気づきます。エジプトの壁画に見える人の姿は同じ顔つきで個性がありません。ギリシャ彫刻は豊かな個性の表現ですが、裸体が多い。裸体像は暴力の表現だといえます。たとえばミケランジェロのダビデ像は旧約聖書「サムエル記」にある「ダビデとゴリアテの戦い」の姿です。これは戦争がテーマです。
仏像はブッダ悟りの姿です。それを拝む信者にとって安心を与えるためのものです。禅ではブッダを拝むこと自分の内なる世界に目覚める修行です。ですから仏教美術は穏やかです。
京都、龍谷大学客員教授、仏師E先生はこのように言われます。
「仏像を彫刻するということは自分にとってどういうことかと、いつも考えています」と。
仏師と呼ばれる職業があるのは日本だけです。もちろんアジア諸国には仏像を作る職人さんたちはいます。ですが日本のように仏師が芸術家として敬われ、大学で講義をし、人間国宝にもなるのは日本だけといっていいのです。
日本の仏像は、その一つ一つが違うのです。仏師は伝統を踏まえたうえでブッダを、あるいは観世音菩薩などの像を彫っているのですが、それは心の内面の表現です。ですから仏像は個の表現です。
2005年、正月に京都迎賓館を見学させていただいた折、ご案内いただきました江里佐代子先生・截金人間国宝(1945~2007)にこのように尋ねました。
「ヒノキに金箔を貼ると、黄色と金色で目立ちませんが」と。
先生はこのように言われました。
「大丈夫です。400年経ったらヒノキは茶色になります。金箔の光は変わりませんので、その輝きはいっそうひきたちます。私どもは400年以上たったら重要文化財や国宝になるようなものを作ります」
また先生はこのように言っておられました。
「世界には政治や宗教では解決できないような難しい問題がたくさんあります。しかし文化はそれらをこえます。文化にはそのようなパワーがあります」と。
2007年秋、江里佐代子先生はご主人の江里康慧先生と共にフランスのアビニョン大聖堂の見学に行かれたところで、くも膜下出血のため逝去されました。「大聖堂のステンドグラスに截金をデザインしたい」というのが先生のご計画だったそうです。