私が八歳になった年に父にこのように尋ねた。
「仏とはどのようなものですか」。
父は「仏は人がなるのだ」といった。
また尋ねた。
「人はどのようにして仏になるのでしょうか」。
父はまた「仏の教えによってなるのだ」と答えた。
また尋ねた「(その)教えた仏を誰が教えたのですか」と。
(父は)また答えた。
「それもまた先の仏の教えによって(仏に)なったのだ」。
また尋ねた。
「その教えをはじめた第一の仏は、どのような仏でしたか」と言った。
そのとき父は「空よりふったのだ。土よりわいたのだ」と言って笑った。
「(私は)問い詰められて、まったく答えられなくなった」と人々に語って面白がっていた。
(解説)
兼好(1283?~1350?)がこれを最後においたのは意図があったはずです。様々な人間模様を通して「仏とは人間のことである」ということを述べたかったのです。兼好は人や世の中をよく見ていますし、人の話をよく聞いています。でも本格的な修行僧ではありませんでした。そこに自ら反省するところがあって、きびしい目で様々なこと「つれづれに、よしなしごと」を述べています。
昭和の文学評論家、小林秀雄(1902~1983)は兼好についてこのように述べています。
彼には常に物が見えている。人間が見えている。見えすぎている。
どんな思想も意見も彼を動かすには足りぬ。 『全集』第八巻p25
「仏とは人のことである」「その教えは受けつがれる」は禅の教えです。兼好は若いころ大応国師(1235~1308)にあこがれていたと伝えられます。最後に父親が、問い詰められて言った「土より涌きけん」のことばは『法華経』「地涌品」に出てくる地涌菩薩のことです。兼好の父親は神職でありながら『法華経』をも読んだ教養人でした。