*仏教の将来性について
昨年、スリランカではキリスト教の教会やホテルが爆破されるというテロが起きました。そのときバナガラ尊師からご連絡がありました。
「この問題をどのように解決したらいいか、みんなが悩んでいる。あなたから高校生たちにアドバイスをしてほしい」と。
私はバナガラ尊師に申し上げました。
「ブッダの言葉を伝えましょう」と。
それで昨年の6月、ルーイハイスクールの生徒さん達に「慈しみとブッダの言葉」の法話をさせていただきました。ブッダの時代は戦争の多い、たいへん乱れた時代でした。だから普遍的な教えである仏教が受け入れられたのです。
バナガラ尊師はおっしゃいました。
「ブッダの教えはいつの時代でも、どのような立場でも役に立つ。だから素晴らしいのだ」と。
コロナウイルスの問題は公衆衛生だけではなく、経済問題、政治問題になるでしょう。したがって今後、世界は混乱の時代に向かうでしょう。そこで世界の人々はブッダの教えに耳を傾ける必要がでてきます。
*スリランカ仏教の印象について
2016年の6月、アジス・アベイサンダラ氏のご招待ではじめてスリランカを訪れました。当初はドイツ人の友人と二人で訪れる予定でしたが、彼が病気で倒れましたので私一人で訪れました。その後、今回で4回目です。
コロンボ空港に到着しますと、ロビーに大きな仏像があります。ブッダを祀っている空港は世界中でコロンボ空港だけでしょう。スリランカの街角、ビルの上、山の上のいたるところに大きな仏像があります。町の人にききましたら「ブッダが見えるところは犯罪が少ない」のだそうです。これは素晴らしいことです。
大乗仏教の『金剛般若経』に「ブッダの体は長大である」という言葉が何回も出てきます。「この世の中にブッダの知恵は満ちている」という意味です。スリランカは上座部仏教で『金剛般若経』を説きませんが、私は初めてスリランカの町中の大仏を見たとき「ブッダの体は長大である」という意味が分かりました。
いっしょに日本から来ました友人はスリランカの印象についてこのように言っておられます。
「スリランカの人たちの親切心や誠実なところ、豊かな自然などはブッダの教えの影響だろう」と。
*世界仏教としての今後の課題
仏教では「あらゆる生き物はブッダの心をもっている」と教えます。もちろんキリスト教の「愛」は仏教の「慈悲」に近い内容です。
いずれにせよ私たちはお互いに宗教の違いを述べるのではなく、共有できるところは何か、協力できることはないかと、前向きに行動していきたいと考えます。