あくまでも『平和の少女像』の事しか知らないので断定的には書きたくないけれど……。
芸術監督の津田氏らの言わんとする所に何やら恣意的な匂い無きもしにあらず?なニュアンスを感じた……。
あの平和の少女像を陳列し表現するのに『何処に不自由があったのか?』逆に聞いてみたくなった。
何れだけ抗議を受けてもウィーン条約に違反してまで一国の大使館の前にその像を鎮座させてるんじゃね?……それは止めてくれ!という声を無視して様々な国に『表現してる』じゃないか?……と感じるのは極めて自然な感覚だと思うけど……。
表現の自由ってのは何も、人の心情、迷惑顧みず『我が主張』を強要する事じゃない。
彼の国では……『その表現』はあたかも魔女狩りの踏み絵の如く使われ……『それに反対する表現』は弾圧と言って良い指弾を受ける。
この平和の少女像問題と同じ構図なのが権利の主張と他者への強要を混同してしまうこの国の一部の政党・組織の人権運動である。
人権の表現はとても大切だけど……人権の主張に名を借りた笑えない『言葉狩り』なんて事にまで発展した過去もある。
その 被害者の名を借りた権利の主張表現は時として……人の表現を恫喝し萎縮させ人の表現に『不自由をさせる』事になるのである。
何やら薄っぺらいディベートの様に……あなた方は被害者なのですか?不自由なんですか?……などとと聞いてみたくもなる。
表現の名を借りた威圧行為かもよ?なんて感じたのである。
彼の国では最近……正義の味方の慰安婦問題を全面に運動やって来た組織に何やらキナ臭いカネ絡みの問題が当の元慰安婦さんから指弾を受けたりなんて事もあったけど……。
被害者を語る横暴?って往々にして罷り通ってるけど……事、平和の少女像?ほど世界中至る所で自由に表現なさっていたモノってないのですよ……。
それは表現?プロパガンダ?……日本国民の税金使ってやるのは余りに『自由過ぎるんじゃね?』と思う……。
新聞記事を捏造してまで謝りたかった日本の方々も居たけれど……表現の不自由展に持ち込める出自じゃないよね?……あの少女像。
すわ!『権力側の弾圧だ!』って図式……昭和の社会党のやり方まだ演りたいのかな?
そのやり口、伝統芸能として認定して差し上げたい勘違い振りだと思う……。