真剣に向き合う時……相手の耳に痛い話しもして、欠陥を指摘もする。『お互いの大切な何か?』が掛かってる場合はそういう状況になる。
『大切な何か』を相手が大切!と気付いてるならば……元々こっちが気色ばんでそんな話をする必要はない筈だけど……。
んで……だからその結果は百発百中で相手に一ミリの変化も起きない。
問題はその話の中身じゃなく……相手は自分が『二人に取って大切な事』と認識して話してる中身じゃなく……自分の存在をそのまんま相手に飲ませる事を主眼としているのである……。
即ち自分の『落ち度を認識し修正する気なんぞサラサラ無いのである』……。
ソレを飲ませられる位なら……関係自体が終わったってよし!……のメンタルなのである。だから解りましたと静かに立ち去るしかない。
コンクリートの床に水を撒けば少しの間濡れた状態になる。しかしその中に染み込むことなくあっという間に渇き元の木阿弥状態に帰る……。
何度か?ソレを繰り返すと……当たり前の話しだけど……水撒く気力は失せる。はい!コレまでよ!となる……。
経験則で誠意なき人に『徒労の水撒き』をすることは無くなったけれど……。
コンクリートの人はそんなの日常茶飯事なのか?少し時が過ぎれば……何も無かったかの様な顔して水撒き事件なんて意識に無いのよ!って顔して現れる。
まるで空白だった時間が消ゴムの様に懸案を消し去っているかの様に……。
しかし、間が空いた(間を開けた)ってことはその人は某かの後ろめたさありって事は明白なのだが……。
まるで……最後のコンクリート水撒き事件を無いことにするなら付き合って演っても良いよ!ってなスタンスでいきなり日常的で平静な態度で不意を襲ってくる。
寂しいんだろうなぁ?……と思う。
しかし僕だって、生きてるなら人は皆等しく寂しい……。
コンクリート人間は……『根拠なき選民意識』に絡め取られてるのである。
ま、メンタルが餓鬼そのものってことだろう……。
『その根本的な自分のメンタルの誤謬』に気付けるか?それはその人の専権事項だから放置し傍観して差し上げるしかない……。
中には相手がコンクリートに水を撒いたと激昂する逆ギレ人間も散見する様になったけれど……。見てて苦しいだろうなぁ?と想像すれど……して差し上げられる事は何もない。
その人の専権事項だから。
水撒きする度に……僕は大きなお世話をし、逆ギレされながら……『トラブルを迎えに行っていた』のだった。
あなたが良し!としてるんだから『そのまんまでどうぞ……』と席を外すべきだった……と遅過ぎる反省頻りの今日この頃です。
しかし心ある人は『僕の内面の変化』に気付いてくれるのである。
『何か?憑き物が落ちた?』そんなスッキリした顔になりましたね?……と。
そんな境地で世の中生きてると……『水の撒き甲斐がある』荒れ地が目に入る様になった。ひょっとしたら……化けるかも?そんな若い人に出会うことも増えたのである……。