自分の感性や考え方に全く自信がない。だから持ち出す普通と皆である。
ここに小市民となる基本形がある。
『衆を頼む』メンタルのなせる技である。
これを言ったら自分の存在は無くなる。自分の意見も考えも跡形はなくなり『そんなもんだ!』と誰もが言ってる!となる。
『私じゃなければならない理由』を自ら否定し、皆という訳のわからない塊の代弁者になる。
こういう人達は自分に頼らない。頼れない。頼るべき自分が居ないからである。
少し、シリアスになったり、議論が熱を帯びると……先ず自分という一人称を素早く避難させる。そして皆様と普通を持ち出してくるという運びだ。
そういう自分の人格を捨てる哀しい枕詞は……とりもなおさずその人が、内心恐れている対象が『皆と普通という観念』だから生み出されるのである。
皆からハズレる事、普通じゃないとされる事に、条件反射的に怯えているのである。
そんな彼等、彼女等は自分じゃない、へのへのもへじさんになることを厭わない。望んで皆を背景にして自分を保護色にして消し去る事にヒタスラ傾注するのである。
普通と皆は偏差値50の平均レベルに集中して分布している。
緊急時には何か卓越した方策を必要とするけれど、皆と普通からはアリキタリしか出て来ない。だからそのレベルで醸成される意見では乗り切れない。
政治を変え、経済システムを変えなければ対応出来なくなった平成三十年間何一つ変化、進化出来なかった……。
それはボリュームゾーンを形成する『皆と普通の人々』達の変化を嫌う選択のお陰だったのである。
今回のコロナ災禍の様な如何ともし難い事態は『皆と普通』じゃ全く通用しない。
だから……大阪、北海道に見られる若い指導者が際立つんだと思う。
幕末見たいに各分野での末期症状の制度疲労が今なんじゃないか?
何処まで行っても『今までのファミリー』で税金を私物化して持っていく事しか考えられない官僚グループと政府は誰々の名指しで済まない制度そのものの老朽化なんだと思う。
電通が絡んだ持続化給付金が幽霊会社の社団法人を通して無税で流される?……に至ってはその感覚異常は救い難い守旧派そのものだと思う。
コレが『今までの皆と普通の感覚』だったのだと異常事態を背景にすると狂った感覚が鮮明に見えた気がするのです。