サンチョパンサの憂鬱

何故?……

人間もある年齢まで進むと……『らしくなってしまう』……。
大人らしく、イッパシの人らしく、出来上がった人らしく、モノを言い、行う様になる……。

知らず知らず、そんな人は自分の土俵の大きさでモノを見て分析して結論を出す……。
時にそれは大いに的外れだし、問題の本質を外してる事多しだけど……当人は大真面目に自説を語るのである。

この様に自分絶対正義の世界を生きる様になった人は……当然決め付けは当たり前、自分の理解を越える事は……全て詰まらない事に分類する様になる。

そうやって口角泡を飛ばしながら自説のみを捲し立てるのである。

考えてみれば……ノーベル賞受賞する人間の脳の使用率は15%内外、一般ピープルは12%位らしいから、使い残した未使用の脳の領域からいえば85%強の
『やり残し』を抱えて人間は死んで行くわけだ。

だから『発展途上人』として死んでいくのが人の『自然の姿』だと言える。

そういった観点から言えば進化を止めた人は、とても不自然な状態にある。
生きてる内に、神仏かの如く世を裁き人を論評する姿を見てると、神仏になるのは死んでからでも良いだろうに……なんて思ってしまう。

何かにつけて変化を嫌い認めないそんな人達は……新たに登場する若者達に対して頑強な反対勢力として立ち塞がる。

これは別に悪いことじゃなくて、若い人達に対する登竜門の試験の役割をしているのだと思う。
若い奴の中には、それをエクスキューズに使って自己弁護する奴なんかも居て面白い。当然そんな若者は立ち枯れる宿命にある……。

新旧対峙してせめぎ合う事によって世の中は進化をする。
その中で、軋轢もあり反目を通して理解し合う事もある。

若い奴がゲームに夢中するのはどうしてだろう?……オッサンはどうして頑迷なのだろう?……どうして居酒屋で酔うと説教したがるのだろう?……などなど
お互いに理解出来ない事が多々ある。

そんな時……反目だけを使わずに……疑問として『何故?の視点』を加えると、自分の年代の長所だけじゃなく……短所が見えてくるから不思議である。

目の前に提示される風景には必ずそんな『意味 』が含まれている。
難敵の中には、必ず自分を強化してくれる材料が混ざり込んでいる。

歳を重ねると何故?が無くなっていく。横着になり自分に満足するからである。

何故?には自分を撹拌してくれる力がある。何故?を幾つ持っているか?それはそのまんま、その人の瑞々しさの指標なのでである。

若い人達のともすれば付き合いを避け引き籠る性癖は……実は『恐怖心から』の事だということも見えたし、オッサンが頑迷に終始するのもまた『恐怖心』が原因だということも分かった。

弱い犬はよく吠える。臆病なウサギは直ぐに巣穴に逃げ込む。
ネクタイ締めて口角泡を飛ばしてのクソ真面目なやり取りは……実は大抵、他愛ない恐怖心からの事なのである。

何故?って視点は他人に対しても、自分に対しても必要不可欠のアプローチ方法なのである。
先ずは……自己疑問を持つ事だ。自分はこれで良いのか?悔いは残らないか?……と。

自己疑問を持てれば他者に対しても何故?でアプローチ出来る様になる。
何故?を以て対象を見る事は……愛情の表現だからである……。
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