サンチョパンサの憂鬱

『傍観者効果』に屈した僕……

ある人のブログで『傍観者効果』という集団心理について言及していた。

自分の他に傍観者がいると、自分も傍観的な態度を取るというもの。
傍観者をやるメリットは、自分だけじゃないという安心感。人が焦ってないから緊急性はないと考える(多元的無知)

第二に、行動した事によってネガティブな批判を浴びるんじゃないかという不安。(評価懸念)

三番目に傍観者は自分一人って訳じゃない(責任分散)

ちゃんと社会心理学で説明されてるんだね?

そう考えると、僕達は日々幼い子供が理不尽な暴力に晒されてる事を知りながら行動しない。
ホームレスが餓死してる事を知りながら何もしない。

アメリカで、ある女性が暴行の挙げ句に刺殺される迄の三十分間。
一人も警察に通報もしなかったし助ける為の行動もしなかったという。
ずっと目撃していた人(傍観者)の数は三十七人もいた。

以前日本でも新幹線で女性を助ける行動を瞬時に行った男性は勇気と、冷静な判断力と状況把握に特段の質の良さを有していた人だったという事か?……。

自分はそういう性向がある!と知っておく事が必要なのだと思った。
自分という人間はただ生きてるだけで……多くの傍観の罪を犯していると。

マザーテレサ言う所の……傍観者……無関心である事が……世の中で一番残酷な事なのである……と。

女性の盾となって救った男性のご家族達は……何で?あなた一人が行動を?と思われたのに違いない。誰からも責められる事など無いのに!……と。

きっと彼は傍観する自分を許さなかったんだと思う。勇気と正義と意志を兼ね備えた稀有な人物だったんだと思う……。

大阪の地下鉄で二人の男に暴行を受けている老人を助けようと散々自問自答し、ヨシと思った時には二人は逃げていき老人はドア付近に踞っていた。大丈夫ですか?と助け起こしたら手を上げ二三度頷いた。

瞬時に動けなかった自分が恥ずかしく……自己嫌悪で一杯になった。
十年以上前の事ながら未だに脳裏にそのシーンが鮮明に浮かび来る。

もろに傍観者効果に取り込まれた自分の後ろめたさは未だに僕を許してはくれないのである。
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