サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……今一度『決意というモノの脆さ』について

迷ったり、弱気の極致に在る時……ふと思い出すのは『炎のランナー』である。
それは安息日に走らなかったシーンでもなく、400メートルでのエリックの金メダルのシーンでもない。

丘の上での宣教師としてのエリックがユッタリと行う説教シーンの中の言葉である……。

☆……皆さんは今日私の話を聞いて、ヨシ!もう一度頑張って見ようと思って決意して下さったかも知れない。
しかし……家に帰れば楽しみにしていた煮豆が焦げ付いているかも知れない。

人間はたったそんな小さな一つのことで腹を立て落胆し……その決意は簡単に捨て去られようとします。

その時……どうするか?

エリックは…静かに皆を見詰めながら言った。
(自分の胸に掌を当てながら……)
『それは皆さんのココに総てがかかっているのです』……と。

お寺の集まりに参加した老人達がその帰り……口々に『とっても良い話を聞かせて貰った……』と言いながら短い沈黙を挟むと……早速……。
そう言えば〇〇さんのところ……と欠席裁判が始まる?そんなシーンは日常的によくある風景である。

そんなの咎められるほど僕は立派に生きてきてはいない……。
だからこそ……そんな自分をどうやって何処に運んで行くのか?を考える必要があると思う。

『僕の今度こそ!!』は何時も日常の些細な不機嫌によって消し飛んできた……。

感銘を受けた話を聴いて、『ヨシ!』を携えて帰宅。早速電気が点けっぱなしだった?とか今日職場で…というカミさんの愚痴、苦情一つで
あっという間にその決意は霧散し……『ヤッパリ無理だな?』と、より強い諦観の材料に消費されて来た……。

今日はこどもの日……。
自分が子供の頃、自分の気持ちにも言葉にも確信があったのを覚えている。

何時から僕は……自分を、自分の言葉をそれだけ軽々(けいけい)に扱う様になったのか?
自分の原因を突き止め今一度丹念に潰していく必要がある!……と感じている。

子供の頃の明快な道理一つあれば……イジメ自殺を大の大人が無かった事になんて出来る筈もない……。
何年もかけて育ててもらい、そこから何年も試行錯誤の自分の時間を貰って、今日ここに在る自分……。
このまんまじゃ……その意味を全く失う事になるぜ!!……と思った。

時間をタップリ使って子供以下の情緒になってしまった大人達……。
子供の日の今日……そこんトコ自問自答してみるのはとても意義深いことじゃないか?って思う。
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