サンチョパンサの憂鬱

情報がないことって……

情報が無い事はそんなに悪いことじゃないんじゃね?……と最近思う様になった。
情報が無い事、少ない事が何れだけ人間の『想像力』や『空想力』を掻き立てるか?という点に於いての話だけど……。

マルコ・ポーロが『黄金の国ジパング』と日本を紹介した為にヨーロッパ人が何れだけ想像力を発揮して大航海へと赴く原動力になった事だろう?……。

大情報時代に於いて、グーグルが示す情報は
想像を許さない最低限の客観的情報。
怒りっぽいのか?温厚なのか?革新的なのか?保守主義者なのか?……そんな形而上の情報は省かれる。

よくよく考えれば男女間の関係は、年収を代表とする数字的な形而下情報よりも実は、お互いの形而上の傾向がその相性を決めてるんじゃないか?……と思う。

コンピューターの指し示す情報は、ソコのところがスコーンと欠落してる。
アナログ的に出会った瞬間のニュアンスにこそ相性の正解が込められている。

パソコンから形而下情報を仕入れれば仕入れるほど……人は思考しなくなり、想像しなくなり、『感じ取らなくなる』のである。

パソコンの相性診断で(婚カツ場)で相手をチョイスしたカップルは時間経過と共に……形而上の感覚のズレに悩む事になるなんて話をよく聞く。

『価値観のズレ?』にも形而上的なモノと形而下のモノとがあるって事だろうなぁ?……。

『知りたい!』こそが情熱と行動のエネルギーの源なのである。

コンピューターに『教えて貰う』という省エネ婚カツは、一瞬にして感じ取れる情報をその後の長い長い実際の生活でやっと確信するという 無駄を演る事になるかもよ?って事だ。

情報、情報って言うけれど、あくまでも、その情報は『どのエリアの情報か?』を知って使いたい。
『情感』なんて情報は間違ってもパソコンが教えてくれる事は無いのだから……。

職場で仕事!と割り切って付き合う関係は形而下での効果を得るためのモノだ。仕事だからね?……。

しかし結婚生活で情感を封印して生きる事は地獄の苦しみとなる。
『自分の感性』をルネッサンスする時期が来てる様に僕は感じるのです。

グルメサイトは……情感を刺激する空間のニュアンスなんてモノを教えてはくれない……。
ビデオよりライブ……音楽同様、食事も実際足を運んで『感じ取る』事こそ情感的に時空間を堪能する近道なのです……。

今回の美食家渡部君の失態の後に……同業のお笑い界隈から様々の人間がシャーデンフロイデ的なコメントを出して誹謗中傷そのものといった言動している。

『その情報』はスマートニュースとかヤフーニュースとかの盤上にアメリカのレイシズムの問題とか香港のデモとか諸々と一緒に羅列されていく……。

昔……テレビ創世記の時代、中味より『テレビを見る』事に意義があった。
今もまた……SNSは中味よりその中に入って演る事に意義があるといった風情だけど……。

そろそろ……情報の量ばかりじゃなく……その一つ一つの感度、感性、純度、エンパシーなどの『質』を何れだけ携えたモノか?……そんなフィルターを用意しなきゃ……心が情報量に凌駕されてしまうんじゃないか?……そんな気がする。
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