サンチョパンサの憂鬱

寛容のパラドックス(2)

寛容……と言えばパッとジュリアス・シーザー(カエサル)が思い浮かぶ……。

今の時代でさえ稀有な民主主義の理想を掲げ汚職にまみれた元老院を敵に回しガリア(今のフランス)へ厄介払いの為に体よく派遣されてしまう。誰もが失敗したガリアを平定し……帰途……ルビコン川を前に彼は三日間悩みに悩む。

ローマの法に定められた武装解除してルビコン川を渡らねばならない……そうすれば彼は夢の実現を待たず元老達に殺される羽目になる。

意を決して彼は武装解除せずにルビコンを渡る。『賽は投げられた!』のである。
結局彼はローマ軍を撃破してローマに凱旋する。

彼は敵対した元老達を殺すべしとする側近達を説得し……許すのである。
もし『私が彼等なら……私もそうする(殺す)かも知れない』……自分がする事を彼等がしたからと言って責めることは出来ない……と。

結果彼は親友のブルータスを含む反対派の元老達に暗殺されてしまう……。
彼の民主主義は夢半ばで潰えたのである。

彼の『寛容』はガリアの戦いに於いても貫かれた。敵を許し……ローマ市民権を与え厳格に平等を保証した。彼の寛容に敵対していたガリアの部族達は心酔し彼を慕い付き従ったという……。

彼の発行したコインが今も一枚だけ現存している。そのコインには『寛容』の文字が刻印されている……。

寛容を貫けるのは真の勇者にして真の正義の人である。
寛容であることは……厳格な内省力を必要とする。我が身を他者と公平に比べ省みて人の行為を判断する力……私が彼等なら……どうするか?と。

ソコに詭弁も嘘も持ち込まない毅然とした判断が出来る人間のみが……人に寛容を以て接する事が出来るのだろう……。
寛容は……人を裁く前に先ず己を厳正に裁く事によってのみ可能となるモノなんだと思う……。

先般書いたご立派族のまとめと合わせガリア戦記を読み返すとき……自分は何て下世話な境地を生きて来たんだろう?……と哀しくなってしまった。
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