しかし、もう経済はそんなのお構いなく先を急ぐ?の図。
期待しなくなって久しい僕でさえ、驚く位の存在感の無さ。
考えてみりゃ……そりゃそうかぁ。
中学生でさえ騙せない、『おバカの一つ覚え』の孫子の代に借金残して良いのか?云々。民を国を憂えて見せる包装紙はもう古色蒼然となり、本体の自民党支持層さえも選挙にも行かなかった。
ヤッパリね!
と思ったのは、国民民主党のガソリン税のトリガー条項撤廃提案について早速、経産省大臣が、『ちっとも尤もらしくないお題目』を早速唱えて見せる変われない芸風……江戸末期の幕府の家老そのものの流れ。
散々、思考を怠って来た罰なんだけど観てて哀しくなるばかりだった。
自民党、公明党、共産党という『古い政党』が一斉に衰退した。
国民は新しさを求めている?なぁ〜んて田崎史郎氏の結果論語り的解説も妙に色褪せて聞こえた。
三年前、僕は仕事の半分を整理した。
その時、懲りることなく余りにも厚かましい要求をして来た人間に、最後通牒をメールした。
『貴方は僕の死ぬ思いの我慢を承認と誤訳し続けました』
盗人よろしく三分の言えることだけを掻き集めて、自分の義務の九割七分に知らん顔のその手法はもう通りませんよ……と。
そこから鬼電凄まじかったけれど……そのコール音は彼への鎮魂歌に聞こえたのだった。
自民党、公明党、官僚諸君の現状認識ってこのパターンだな?とつくづくと思う。
こんなのを『相手にしてる暇』なんて心ある人々にはもう無いのである。
言い訳さえ適当で安普請極まりない。
ソレに気付けない哀しさは文字通りそんな生き方を繰り返してきた人間の『身から出た錆』なのである。
奇しくも田崎史郎氏が公明党が国交省大臣の利権を握って離さないのは創価学会員の高齢化をカヴァーする為に『その繋がり』は絶対に死守しなきゃならないモノだと解説?してた。
福島も能登も熊本も……そんな輩が大臣務める組織を頼らなきゃならないなんてね?
この『非常識極まりない事情』をシャラっと『解説して見せたお積り』の田崎史郎氏もまた
旧人類の極みなのである。
ただ?常識が無いのなら何とかなるかも。しかしこの旧人類達は『常識が狂い過ぎてる』のである。
だから心ある人達はもう相手にしなくなったのである。
ソレが今の日本のホントの風景なのだと思う。
狡いのも人間だけど?
『狡さしか無くなった人間』ってホント救えないよね?……。
流されそうになるけれど……何とか辛うじて自分の本分、矜持を死守する事。
ソレが自分の狡さに取り込まれない為の唯一のワクチンとなるなのである。