言わずもがな…芸風が変わらない人の集合円は中間ボリューム層と呼ばれる人達の集合円とぴったりシンクロする。コレ……余談だった……。
進化も深化も果たせないまんま同じ芸風にしがみついてる?人の生き方は人を寂しく哀しくさせるものがある。
一重に、『その様がイタイ』からである。
何時だったか『人の変化の余地』について書いた。
『変化の余地を感じさせる人』は今の自分に満足してない人である。詰まりマインドに絶えずハングリーを抱えている……と。
誤解を恐れずに言えば……芸風が変わらない・変えられない人は『マインドが横着に支配されている』のである。
『今の自分を寸分変えないまま』……新たな事態、時間を迎えても他者の変化によってのみ自分を満足させる『対応をせがむ』のである。
新たな時間には……自分が新たな変化・要素によって対応をしないと必ずハレーションを巻き起こす事になる……。
あいも変わらぬ同じ欲求であれ……、新たな時間の中で…ソレを満たそうとするならば……マインドも手法もリニューアルしたモノを自分が用意しない限り満たされることはない。
今回の総裁選での画策、立ち回りでハズシまくった二階幹事長の憐れ……は流石に見る者をとても哀しい気持ちにさせるものがあった。
凄んで見せた積もりの演劇も……哀愁の色濃く
『芸風を変えられない人の末路』は皆同じ……。
この人は…自分の誤りについぞ気付くことはないだろうなぁ……という諦観を導くのみである。
少々身も蓋もない言い方になるけれど……しつこく、全く同じ芸風を繰り返す人はマインドに救い難い横着と自己認識の勘違いを囲っている。
ショボい効果しか上げられない自分の現実から目を背け……生き方は王様そのものを演っているのである。
必然的にその人は『見るべきもの・聞くに値するモノ』を失っていくのである。
魅力がなくなるだけじゃなく……人の嫌悪感まで喚起してしまう様になるという顛末がお約束済みなのである。
人間は何処までも『我、発展途上に在る』とする自己認識で生きて行きたいとつくづく思う……。
ハングリーって言えば何か?生々しいけれど……ハングリーはその人が自分に見ている希望なのである……。