コンセプトがあやふやのまま、実行時期が迫ってくると、必ず陥るのが誰かが既にやった 事を後追いした二番煎じ、三番煎じの猿真似的な企画になるのが定番の流れになる。
自分の感性が興奮を押さえられない位に惚れ込んだ企画というものは……当然個性的であり前例が無いモノに仕上がる。
個性的故に無理解の反対も多いけれど、自信はピクっとも揺らがない。
その反応までが、それ位、自分の企画が特殊で特別だからなのだ!……と自信の裏付けにさえなるから不思議である。
地方興しと称する取り組みが花盛りだけど『居場所作り』と『情報発信の拠点』いう超ステレオタイプの名目の下に古民家カフェは偉大なるコピーの乱立?といった風景として全国に蔓延してる。
実際、二番煎じ、三番煎じが横行して今やハイハイといった雰囲気になっており、世の中は飽き飽きといった風情なのにである。
各地方の折角の取り組みが、日本全国にコンビニ然としたアリキタリ拡散に拍車をかけるという惨劇である。
イメージとして既存のものなら簡単に描けるし『まあまあという計算』が立つと思うんだろうなあ。
こんな、既に誰かがやってるという安心感は逆にサービス業の一番大切な『新鮮さを削いで』おり、非常にリスキーな取り組みとなるのである。
観念というものは、見るもの聞くもの全てを詰まらなくさせる。
ワクワクとドキドキの創出には『安易な計算』が一番のリスク要因となる。
そんな店に入ると……肝心の提供側がとっくの昔に飽き飽きとなって疲れた生活感を漂わせているものである。
提供者がワクワク出来ないモノが需要者をドキドキさせる事なんて絶対出来ないのである。
情報発信と騒ぐ前に、それってホントに情報足り得るか?……吟味する事が肝心。
やらない方が儲かった?っていう事例はかなり多いんじゃね?……と感じる。
プラマイゼロはマイナスよりは儲かってる状態なのだから……。