サンチョパンサの憂鬱

沈黙には自分の意志が在る

二人でいて……会話が途切れた時に『間が持たない事』を恐怖する人が多いのに驚いた。

何でも良い?からペラペラとやってれば落ち着くって事だけど……話す必要がないなら『沈黙する勇気』を持って欲しいと思う……。だってそれが当たり前でしょ?

ペラペラやんないと途切れる人間関係ならそこまでなのだから……。
若い人達がラインで『返事しなきゃ!症候群』に冒されているのも沈黙恐怖症状の一つだと思うけど……。

それを『繋がる』と言うならばそんな繋がり要りません!……と生きて欲しい。
忙しなくスマホ睨んでる人達ばかりだけどね……殆どの人が『沈黙恐怖症』に罹患しているだけだと思う。

『皆が渡る赤信号』に対して私は渡らない!という選択が往々にして正解なんだけどなぁ……。

ダンプカーが突進して来て……その時死ぬのは皆さんでも、自分は一人で死んでいくのである。誰~れも自分の死に責任なんか取りません。
だってそれこそ自己責任でしょ?

今『決断』をテーマに書いてるけれど……どうしてもその決断を導く為には『個の確立』抜きには行えないという所に行き着くのである。

嫌いな奴といて沈黙が怖いってなるならそんな人が下す決断ってどうなのよ?って思う……。
それは決断じゃなく『流された仕業』っていうモノなんです……。

大体にして……人生に『もたない程の間がある』ってどうなのよ?って事である。命すり減らす時間に『もたない間』を設定しているその『命の使い方』に気付いたら良いんだけど……。

話して有意義な価値は落語家と漫才師にしか創れないのです……。
僕達の『話すために話す』は命の浪費してるだけってことだと思う……。
そんなガキ見たいな事言って?……と言われると思う。

『上手く演んなきゃね!大人なら角が立つ事しちゃ駄目よ!』と逆襲されると思うけど
それで立った角ってナンボのモンか?って事だ……。所詮自立してない相手の精神が駄々を捏ねてるってだけの話……。

それを恐れてる自分のメンタリティーこそ再点検の必要アリ!って僕は思います……。
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