サンチョパンサの憂鬱

訣別は人を写実する

人はとても不思議な心理をしている。

人と訣別する時、自分が見限る立場なら眉一つ動かさず、スパッと行える。相手がそれによって戸惑うならば、なおのこと優越感まで味わう余裕さえ見せる。

同じ人間と袂を別つのに……分かりました!と相手が即座に受け入れ、向こうの人間の意思で訣別が決定的となると……心中穏やかではないのである。

鞘当てとか意趣返し?の様な軽い気持ちで関係を左右する場合……不遜を頼りに、相手は自分を見限る事など絶対ない!と踏んでいるからこその『暴挙』なのだろう……。

賢明な人間ならば、その様な暴挙は自分の為に絶対に演らない……。
人を軽々に扱った報いは後から必ず自分の良心を通して自分を責め苛んで来るものだと知っているからだ……。

ましてや関係を絶つ覚悟なり、自分に正義なりが無いにも関わらず軽い気持ちで関係を人質に取った駆け引きを演れば……真っ当な生き方をしてる人間ならば……物事の軽重を知らぬ論外の人格と受け取る事は必至だからである。

その時相手は怒ってさえくれない。サバサバとして離れ行く。『納得がいく』し、『あなたはそんな人?』等とアレコレ迷う余地がない演られ様だからである。

自分の醜悪な人格全てを明け透けに証明してしまう行為なのだが……意気揚々とそんな振る舞いを演ってる人はそこに気付いてる節は微塵もない。一時の怒りの感情だけを頼りに突っ走るのである。

イイ歳をしてのそんな虚勢は、力も無いし、相手に取ってそんな人格と関わる価値も失わせるのである。
自作自演での蛮勇……に至極真っ当に対応した相手は既に去り……取り残された人は……自分の行為によって出来た殺伐とした風景の中に独り立ち尽くすのである。

イジメは典型的なこの図式である。
人を弄ぶという『心の自傷行為』を演った人はそれから後に知り合う人は『何も知らない?』とたかを括っている。

しかし自分の心が知っているのである。
何時までも何時までも忘れずに知っている。
イジメはやられた人間は覚えていて、やった方は忘れてる?……それは嘘である。

下劣な人の扱いをした人はその後ずっと、その自分の『無意識下の記憶』に怯え続けるのである。

自分の卑怯な心を目の前に引きずり出し、目を背けずに『自分の心の落ち度』を正確に認知し落とし前を着けない限り自分の良心からの脅迫は続くのである。

被害を被った人間は不思議な事に実際の加害者達から加害者だと指弾される事が多い。
実は……それこそが加害者達の良心の呵責のなせる業なのである。

卑劣な行為を行った人間達が聞かれもしないのに……多弁となるのはそんな心理作用からである。
嘘で他人は騙せるけれど……自分の嘘で自分を騙す為には悪魔に魂を売らない限りは不可能なのである。

ま、実際……この世には悪魔に魂を売ったんじゃね?と思わせる人達が一杯大手を振って歩いている……。
そんな人達は善人芝居の独演会に夢中になって、自分の心に住み着いた悪魔の存在には気付かないままである……。
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