サンチョパンサの憂鬱

臆病は繊細の最上級

凄くマニアックで専門分野にやたら詳しい?そんなタイプのキャラクター。

『お前らには分かる訳がない!』的な見下ろす態度ながら……俺を支持してくれ!的な欲求が何処からか漏れ出て垣間見える?……そんなタイプの人は何時の時代にも存在する。

突っ張ってばかりじゃ駄目か?と妥協し、一般人の感性ににじり寄った途端に見放されて消えて行く。

そのキャラクターがポーズではなくて、本物だったのはタモリとか藤村俊二だったのだろう。彼等は終始自分のポジションから動く事なく、『一般を自分に引き寄せた』んだと思う。

その世界に足を踏み込み、次第にその世界風にナイズされていく人。
逆に少数だけど、その世界を徐々に自分ナイズしていく人がいる。

その明暗を分けるのは……自分の才能を本物の自分の感性のみで処理し続けているか?
プレイの何処かに、自分ではないその世界のセオリーを技術的に取り入れてしまったか?の違いだ。

才能そのものも当然影響するだろう。

しかし最後に勝負を決めるのは……如何に不安でも自分そのもので押し通せるか?ヒヨッテしまって安心が欲しくて、その世界の観念に手を出してしまうか?が決めるんだと思う。

前者は世間を消費しながら生き延びていき、後者は世間によって消費されて消えて行く。

一般的?と言われる領域から大きく突出した変わり種の自分を……平凡な人格の人達に理解させる力は……自分を強烈に愛せる力無くしては世間が自分に対して無理解の間の不遇によって力尽きるのだと思う。

『自分なんか……』と『自分だからこそ……』との間を心は何時も往き来する。不安と言う奴だ。そこで隙を見せれば『自己不信』へと踏み込んでしまう。折角の自分の才能をありふれた業界の手法に売り渡してしまう事になるのである。無難にまとめるって奴だ。

そして……そんな奴ならソコら辺りの何処にでもいる。

最近の歌は『飛び出せ!』、『走り出せ』、
『始めるんだ!』と威勢が良い。
始めるのも飛び出すのも走り出すのも簡単だけど……その道すがらで『その落とし前』を自分に着けさせながらってのは至難の旅なのである。

自己信頼って素晴らしいけど……絶えず自己不信と対峙して命と名誉を掛けたやり取りを必要とする。
苦しいけれどその張り詰めた緊張感こそが実感であり、生き甲斐と呼ばれるものなのである。

日々を生きながら……心を損ない自分らしくなくする為に生きてる人にならない為に……夢もない不遇の中にあっても過去の中に小さな事で良いから何か一つ誇れる自分を見付ける事だ……。

アニメでも映画でもヒーローは必ず挫折し傷付き倒れる。それはヒーローになる為の『手続き』なのである。

それでも旅を続ける奴だけが自分のヒーローになる。大勢のヒーローになれるかは『大勢の人達が決める』からソコは世間に任せるしかない。

人笑おうとも、……最低限、僕は僕のヒーローで在り続けたいと思う。

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