サンチョパンサの憂鬱

8 選択された普通と原初的な普通……(6)

僕は長いこと自分の防衛本能から……定見もポリシーもない中間多数派の言動や行動を嫌悪し時には軽い憎悪さえ覚えることが多かった。

しかし働きアリの世界でもパレートの法則はそのまんま適用できる?……と文献にあった。 
八割の働きアリも全体のたった二割の働きしかしないのである。

全く働かないアリや気紛れにサボタージュを繰り返すアリが八割を占めてアリの世界も成り立っている。
その構成比は宇宙の進化の必然として脈々と運営されている。

それを小賢しい人間の頭で善悪論なんぞで考えることの徒労、虚無感満載の狭小な自分の立ち位置を僕は意識するようになった。
『良いも悪いもない』のだと。それはソレとして宇宙の事実としてただ『そこに在るもの』なのだと。

人間の筋道とかことの善悪を全員がモチベーションし、前頭葉でシッカリ噛み締めるように判断するとなれば……それはそれで修行僧の様に張り詰めながら自分を他人を推察し処断し続けることになる?

時と共にシニカルな厭世観は僕の中から少しずつ消えていった。

確か、吉田拓郎の歌に『戦い続ける人の心を誰もが解ってる』なら『戦い続ける人の心はあんなには燃えないだろう』……というのがあった。

何の呵責もなく悪行、悪徳を撒き散らかす八割の人間達……それはそれで…何かの存在の意味があると思う様になった。
自分の頼りない思考を頼れないと知りつつ……だからこそシャーデンフロイデの虜になる。

肯定感?……何?……それ?

俺の、私の、肯定感……?
そんなの知ったこっちゃない。眼前で絶えず変化する前提に順応するしかないのだ……。
その前提こそが瞬間瞬間の唯一絶対の支配者なのだから……。

もし彼等が自分の立ち位置を言葉にするなら恐らくそんな事を言うだろう……?

彼等には彼等にとっての必然の立ち位置がある。
僕にも僕にとっての必然の立ち位置がある。
彼女にも彼女にとっての必然の立ち位置があったのだ……。

天はそんな僕達をなんの配慮もなくハチ合わせさせ、軋轢を与え、諍いを生じさせ、時に糠喜びさせもする。
そしてそうやって混乱させたまんま放置して知らん振りを決め込む……。

自分で考えようと、人の意見に流れようと、雰囲気に飲まれ流されようと……それはお前達それぞれの自由なのだ……と。



 何時もよく私達は子供の時の話をするよね?
まるでもうお爺さんお婆さんになった見たい……彼女がそう言って屈託なく笑った事があった。

それは僕が、彼女が、『天から与えられたまんまの普通』を生きている?生きて行く?
その事を確かめ合っていたのだと思う。
僕達はそれを手放せない事を無意識の領域でお互いに確信していたからである……。

今も僕は小学五年生の僕と時折会話する。
お前?あの時よく負けなかったな……と。
すると五年生の僕は嬉しそうに少し誇らしげな笑顔になって僕の中の何処かにすぅーっと帰っていくのである。

             了

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