サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)……誰も私を分かってくれない?

PHPオンラインで加藤諦三さんの記事があった。

『誰も私を分かってくれない……』……と大人の世界で何時までも嘆き続ける『自己憐憫の感情に囚われた人』の二つのキーワード。
私に…『出来る訳がない』と『どうすることも出来ない』である。

結果……自分の苦しみ、窮状を何時も人に訴え掛けては同情をもとめ続ける生き方になる。

しかし、大人の世界で『そんな特別扱い』なんてない。
困難を抱えているのは『皆の当たり前』だからである。詰まりそんなのあなただけじゃないって話である。
 
すると自己憐憫の人は『誰も分かってくれないと憎悪の念を抱く』……その強い怒りの念をベースに…『分かってくれない!の思い』は尚の事強化されていく……生き地獄の螺旋階段を下り続ける構図である。

☆〜☆文中より抜粋

☆ 自己憐憫する人は、他人に「もっと」真剣に同情してもらいたいのである。そして一切の社会的責任から解放されたい。心理的に生まれたままの幼児になって無責任が許されて、その上で立派な社会人として評価されたい。……☆

若い人達と関わっていると大なり小なりこの自己憐憫の感情の影響を彼等に感じる事がある。

『母親はいたが……母なるものを持った人ではない』と表現される親子関係は……何も虐待なんて苛烈なものではなくとも、『一見仲良く見えるよそ他所しさの関係』はソコココで散見されるものである。

これ……上手く運営されている!というコンセプトで演じられる『演技性家族』と評して何度も書いたけれど……。『世間体に則って』粛々と演じられる仲良し家族……って奴である。

『自分には出来る訳がない…自分にはどうすることも出来ない』という確信?……。

その心情に支配された人に何を言っても結果はゼロとなる。
何の変化も与えることは出来ないのはその人が『同情を得ること』以外に『その他の自分に対する欲望はゼロ』だからである。

他者からの働き掛けは全くの無意味となる心理構造。
結局、自己憐憫の人が……自ら作った心理的牢獄のカラクリを解明する他に手立てはないんだなぁ?

お堅いお仕事?とされる各種の組織(公共体とか金融などなど)の窓口で……余りにも稚拙な不手際を指摘すると業種関係なく……子供じみた逆ギレ対応をされたという話をよく聞く。

ここ三十年……ニコニコしながら心の底に、『誰も分かってくれない!怒り』って奴を溜め込んだ幼児性高い人間がやたら増えたんじゃないか……?そんな気がするのです……。



名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事