先日のひろゆき氏が自著の『1%の努力』について捕捉で喋っている事に『自分の頭で考える事』、『同じ意見には価値がない!』……とあった。
我意を得たり!ってウンウンと頷いたのだった。
人多く……安全と思って同調する。
何時ぞや、書いたけど……『そーだ!そーだ!』と演る村人AからZ、その他大勢の役割に堕している自分に疑問なく条件反射的に同調に走る。
そんな多数派から見れば、人と違う意見を言うと『目を付けられる』から……となるけれど……。
自分を人と違う唯一無二の存在と誇り、愛そうとしてる人間から言えば目を付けられるんじゃなく、その他大勢から『際立つ!』という価値観になる。
前者は『浮くこと』を恐怖している。
一方、後者は、自分がその他大勢として埋もれ変哲のない存在となる事を恐怖する。
どう生きたって『不安と恐怖』はつきまとうのである。どう生きたって苦しい。
僕は……酷く苦しい時……自分が『死ぬ時の満足度』から思考する。
ソコから今、どう在るべきか?を悩む様になった。
真剣にならざるを得ない大きなテーマは恐ろしく時間を必要とする。
死ぬ時までの自分が使用可能な『最長の時間』を以てして考えざるを得なくなったからだろう……。
『自分に取って最良』とする考えは、必然的に人とは違うモノとなる。
『99%の努力と1%の閃き』というエジソンの言葉……ひろゆき氏は逆張りして、1%の閃きがなきゃ99%の努力は無駄にしかならない……と紐解いている。
名言だな……。
『皆と同じ意見』では永久に閃かないのである。
同調圧力に屈したままでは、自分に取っての原初的閃き『自分には何が?良いのか?』……という起点を永遠に持てないのである……。
条件反射的に同調する人は……『何時もパニクっている』のです。
長い間……『自分の事』を思考した事がない❗のである。刹那と刹那を繋ぎながら
何時も『皆はどうしてるか?』に専念させられて生きて来たからである。
勇気をもって止まりましょう!……皆、皆皆と、自分を説得ばかりして来た流れを一旦止めるのです。
何もひろゆき氏とかホリエモンの様な人達ばかりが個性的ってことじゃない。
ありふれた?仕事とされるモノと取り組みながら個性をふんだんに発揮して生きてる人も居るのです!
アイドル・お笑い芸人全盛だけど『大半の皆』のその発想、行動は個性的ですかね?
先般、人生を豆腐にかけた人のドキュメンタリーを見た。凄まじく個性的だった。
アルバイトで面接にやって来る『声優志望』の若い人達は多い。話してみれば何て観念的なんだろうと溜め息が出るのです。
『職業が個性を作る事はない』という当たり前さえ知らずに育ってる。
『学歴もまた然り❗』です。学歴崇拝は『皆とされる没個性の大人達』が仕立てあげた妄想なのである。
生まれた時から、個性はその人の中に備わり埋もれてる。ソレを掘り出すのはその人自身しか出来ないのです……。