サンチョパンサの憂鬱

生活感は停滞度を指し示す

ファッション誌などに掲載されるモデル達はメンズ、レディース問わず美しい。整っていてある種人間よりマネキン人形に近い……。

これはファッションの敵『生活感』の除去を目指す余りの行き過ぎた表現なんだと思う。
全く人間の息づかいや汗の臭いが漂って来ない。

美しいけれど『セクシャルな色気』が感じられないのである。それは見る側に隔絶感を与え紙面の中に入って行けなくさせる。

それではと考えたのが読者モデルなんだけどこれは文化度合いの貧しさが伝わり彼等、彼女らが帰っていく部屋の生活感が見えてしまう。

度合いの問題だけど……生活感は日常をあからさまに感じさせてしまう。
ファッションに必要なのは生活感じゃなく『生命感』なのだと思う。

体躯が少々アンバランスでも、抜ける様な清潔感を発するのがセクシャルな魅力に繋がる。
ピュアな生命感こそが年代問わず絶対に色気に必要な要素だと思う。

心地良い緊張感を持って生きてる人には必ず清潔感が漂うのである。
欲しいけれど未だ手にしてない対象がある人だ。

大袈裟じゃなくそんな人は、未来に向けて生きている。未来にならないと解決しない未解決状態の何かを抱えて今を生きているのである。

過去と今に満足し安住してる人は、洗濯の行き届いた服を身に付けていても生活感と不潔感が付いて回ってる。

食事のメニューも同じ。
現実とかけ離れ過ぎたデコラティブな一皿には色気がない。
かといってマヨネーズ容器と共に出される創作料理とやらは生活感あり過ぎだし……。

生命感って終わりを予感させる今や過去を主軸にして表現出来る訳がない。
未来という『始まりの予感』あってこそ生命感はみなぎるって事だ……。

夢は未来に対してしか見れない。
だから夢は生命感を誘発し、セクシャルな魅力と直結するものなのである。

何か一つ……小さな事で良い。
未来に向けて叶えたいという願いを持つ事から夢は始まる。
今は未だ無い!……だからこれからに向けて創作活動が始まるという訳である。

安易に素材を組み合わせるキテレツな行為は断じて創作的活動ではないのである……。
無理から捏ねて作りました!そんな自分を諦めてからスタートする安易さがどんよりした生活感とか不潔感を醸し出すのである。

物理的食欲を満たすなら何の気取りも要らずそれはそれで良いのかも知れない?
しかし食欲と共に心の渇望を『充たそうとする』ならば店側もお客側も五感全てに気配りを要する。

『今は未だないモノの欲求』を有するとその人の全てが新陳代謝を本人に要求を始める。
昔CMにあった『発展途上人』というキャッチコピーがあったけどまさにそれである。
未来に対して『変化の余地』を持つ人には自然と生命感が宿るのである。

死ぬまで……『終わった人』にならない様に生きて行きたい!……と僕は自分にそう願っている。
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