サンチョパンサの憂鬱

昼下がりのサンチョパンサ(2)どうしても苦手な人とどうやって付き合っていくか?

どうしても苦手な人とどうやって付き合っていくか?……なる記事を読んだ。

どうしても苦手なら?上手く付き合おうとしないことだと思う。
趣味の会ならいざ知らず、社会に出てのお仕事ならば『自分に取って快適』なんぞを求めることこそ間違っているのだから……。

こうすれば良い?ああすれば良い?なんて言ったって、同じ言葉、所作でも人によってその効果は全く違う。

『こういうもんなんだな……?』と取り敢えず『まんまを受け容れること』である。
それが……自分というものをポンっと社会に置いた客観的反応そのものなのだから?

自分に取ってのアンチクショーはその人から自分を見たらコンチクショーでありお互い様だね?と認識することが大事なんだと思う……。

微に入り細に入り……『人の神経』を先回りしては気にし過ぎるのは昨今の悪弊の極みだと思う……。

根性論とか?精神論から言ってるんじゃないってことを先ずはお断りしておきますね?

フィジカルもメンタルも……『体験させ少しずつ負荷をかける』事で鍛えられていく。

そんな風に言われたら?そんな言い方をしなくても?……自分の仕事の迷惑具合(それこそが大問題なのに?)をさておき……自己正当化に入る人多く……妙なお育ちの悪さを否めないのである。

『何故?あなたは間違っているのか?』を説明させる人材って幾ら時間を費やしても育たない。仕事をしていくメンタルの基礎体力が無いのである。

ソレは能力の問題ではなく『お育ちの悪さ……躾不足』なのである。
ある意味、おバカより質(たち)が悪いのである。

周囲がどんなに懇切丁寧に対応しても、『自分にNOを出した人』は即悪人認定する餓鬼思考の短絡がスッカリ身に付いてしまっているのである。

先日、現代人はたったの一日で江戸時代の人の一年分、平安時代の人の一生分の情報を浴びている事を書いたけど……。

『自分が気に掛けて悩むべき情報か?』の判断が大切な問題。
『職場にどうしても気に食わない人がいる』という『人間世界の当たり前』に費やすエネルギーは全くの無駄なのである。

親が関わり見事に育ったスポーツ選手は多いけれど……その親達は知っているのです。
結局プレイするのは子供。
『子供が独りで受けて立たなきゃなならい』って事を……。

理屈抜きに抱きしめ、その人に全肯定を与えなきゃならないのは……心折れ挫折を抱え起き上がれなくなった人に対してなのです。

『私……傷ついた!!』をウリにする人に僕は近付きません。そんな人は必ず皆の成果を破壊するからです。
考え方が違う人間がチームで動けば……理解の仕方とか行き違いなんてザラ……。

仕事って……そこから『んじゃ?どうするの?』から始まるのですから……ね?
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