後になって……後出しジャンケンでとやかく言う人は多いけれど……そんなの何の役にも立たない。
クルマという利便で鉄道を自分達が潰しておいて……『困る❗❗』と延命を直訴して見せるご都合主義……。『死活問題?』なんて騒いで見せたりもする。
郊外のスーパーに一円、二円の我欲で殺到して、総合的に地域の役に立ってた商店街を潰したのもそんな人達……。
『買い物難民なんだ❗困る❗』……と演るのも同じ構図……。
今になって開く国会……殆どのプロセス終わってますけどぉ❗❗
ま、コレも茶番劇……遅い❗人災だ❗と騒ぐ野党……『迅速に適正に対応して来た❗』とシャラっと首相……今が11月?と思わず勘違いしそうになる。
だって『……仕事が……』と言い訳一つで『目先に負けた』んだからこの僕も何も言えねえ❗……後からエラそうに後出しジャンケンしてるだけだもん……。
恐らく……コロナ後にこの国の街々からドラスティックに飲食店が姿を消すでしょう。日常的だったその店に配達してた、酒屋さん、八百屋さん、食料品屋さん諸々の人達も消えていくでしょう。
変わって宅配の沢山のバイク、自転車が行き交うのが日常風景になるでしょう……。当面……なんて無駄遣いしてたんでしょう?……とお得で便利なライフスタイルを楽しめる……。
心の中に……カサついたすきま風が吹く頃には町中華のオッサンや、手狭なスナックのやり手オバサン達は何処かへ消えている……。
『何時ものネット』で『何時もの服を買い』、何時ものコンビニで受け取る暮らし……。
『取り寄せ放題❗❗月々たった○○円』なんてお取り寄せサイトも出来てるだろう?……。
『一見、無駄、高い、面倒……』カネに換算出来ないモノを無価値と断ずる金融資本の正確無比な『数量理論』に埋め尽くされた暮らし……それはそんなに遠い未来の話じゃない❗……。
『地方文化』とか『風情』とか『人との交流・会話』そんなモノには『数量で計れる価値なんて一円もない❗』のである。……目先ではね?
町中華のオッサンの『へい❗らっしゃい❗』の笑顔は数量的な価値観では一円の価値もない。
その笑顔一つが仕事の深刻な悩みを和らげたとしても?……である。
そういうの……昔は『暮らしの質』って言ってたっけな?
……そんな言葉……もう死語なのかもね?
殆どの多数派が未来に今よりキツイ貧困を予想されてる今……『そんなものに頓着する余裕なんて無い❗』って叱られちゃうよね?……きっと。
『暮らしの質』って奴はそうやって『眼前の利得・利便』と引き換えられて消えていくのかも知れない……。
でもね?……江戸時代の地方の百姓達は今より貧しく苦しかったのよ❗❗
彼等が百年越える未来の視点で、農閑期に、まだ見ぬ子孫を思って寒い裏山に植林した話を前に書いたけど……。
僕達のDNAの中には『そんな財産』が眠ってる。
百に一つ❗それくらいで良いから『時にそんな先輩達』に思いを馳せて見ませんか……?