様々な思い付きを書いてきてほぼ三年が過ぎようとしている。
丁度コロナ禍と歩調を合わせるように過ぎた時間は……考えるというよりランダムに散らかっていた思考や体験を整理整頓し因数分解して随分とシンプルにしてくれた気がする。
宮台真司氏が言う。
『友達がいません……友達の作り方が分かりません』という人がいた。
そこで『困っている人を見付けて助けたら良い』、そしてその人と友達になれば良いと言ったら……『誰が困っているのか分かりません』とその人が言ったのだ……と。
安全・便利・快適の中で育ち『危ない目』に合わない人が……その危ない目から助けてくれる人を見付けられることはない……。
過ごし来た『タイムライン』がとても重要なのだと氏は言う……。
あの苦難が、苦境があったから今の幸せがあると感じられるタイムライン?……『流れた時間の中での起承転結』見たいなことだよな?……と思った。
安全・快適・便利の中で、有利とか富とか快楽ばかりを掻き集めようとする。
意に沿わぬ事柄は『アイツが悪い!』、『コイツのせいだ!』とする『他責の文化』……。
何時だったか…『保護された動物は必ず弱体化する』と書いたことがあった。哀しき若者達をサファリパークのライオンだと書いたこともあった。
保護されエサを与えられてフィジカルだけが大人に育ったライオン……。
サバンナの世間に放たれても捕食出来ない。出来る筈もなく。
『何の痛みもなく与えられたモノ』には記憶が伴わないのである。自分の意志に関係なく眼前に投じられるだけだから……。詰まりその存在のメンタルにはタイムラインが築かれない。
先回りしては困難?を取り除き利便を与えては誘導する。
それは決して子供達の『為を思ってではない』のである。
『親自身に軋轢・面倒が生じない』からである。親子の諍いもなく、価値観がすれ違うこともない。空気で脅し突け笑顔での演劇を通してサファリパークへと誘導して育てる。
安全・便利・快適……を確保するのに『ご立派族』となり『何の覚悟もない安っぽい正義』を口にする。
だから?……困ってる人を見付けるのは難しい。
『困ってない振り』に世間は忙しいのだから。
投機?、投資?、上場?様々な錬金術でカネを集めた御仁がSNSで貧乏人を豚の群以下の様に表現して揶揄している。
ニ割に満たない筈の富裕層だけど……豚の群以下の扱いを恐れる貧乏な人もソレに追従してイイネとタップする。
だからこの国の富裕層ではない貧困者、困窮者は何処に居るのか?分からない……。
分からないから?この国の日常はそんな人達は居ないかの様に運営されているのである。
タイムライン、人生を生きるのに『原因と結果』という起承転結を認識しながら生きる。
『その人間の当たり前』が怪しく揺らいでいる状態……それは『安全・便利・快適』を享受している人達自身を『何の実感もない結末』へとユックリと追い詰めているのである。