気付けば憎しみが消えている。
数々のアンチクショー達が心の中で蠢いていた時期が長くあった。
憎悪は抱えておくと酷く疲れるものである。
だから意識は憎しみを消し去ろう、消し去ろうと努力する。
しかし、そう思えば思うほどシッカリと心に染み付いて色濃くなってしまうのだった。
然りとて暮らしというものがあり、働かなくてはならぬ。
出来るなら、そんなもの放っといて憎しみに没頭したくさえあった。
不思議なもので、憎しみも時間と共に『学習していく』のである。
感情の渦が引き落ち着いて来ると相手100%の悪因が少しずつ少しずつ……ま、こっちもこっちだったけど……なんて変化していく。
そしてある瞬間に気付く。
ま、面白かったけどな?……なんて事を考えている自分がいるのである。
あれほど消し去りたかった憎しみが『消えていた』のだった。
善意も悪意も……意図的なモノには力がない。長持ちしないのである。
あれだけ辛かった憎しみが……生きる事に追われては思い出し、また頑張る内に『消えた』のだった。
憎しみは台風の様なものだ。
ひたすら過ぎ去っていくのを待つことしか出来ない?……そう思った。
自分が憎しみの中で捏造していた相手は……思うほど『悪くもない人』人だったのである。
そこまでいくと心が妙に軽くなっている。
ありゃりゃ?……俺は煩悩から解脱したのか?なんて思うけど……。
しかし、生き仏様になれる訳もなく……その日の内にまた懲りもせず『新たなアンチクショー』を仕込むのである……。
憎しみを抱えるには力がいる。とてつもないエネルギーも要する。
人を憎める内が華ってことか?と思うようになった。
人を憎んでる俺は……まだまだ演れるぞ!ってね……。
僕は……『人に感謝する』というのは確かに必要であり僕にもそんな経験は多々あったけれど……。それでも煩悩深き自分は新たな敵を仕込み懲りもせずまた新たな憎しみに囚われるのである。
しかし……救いが一つ。
『今また自分は都合被害者となり人のせいにして憎んでるぞ!』……そんな認識が生まれ憎悪の炎が燃え盛るなんて事態を避けられる様になった事だ……。
『素直という人間の最高の才能』に恵まれてない僕は……それで良いと自分を許そうと思う様になった。
仏様になるのは死んでからで良い。生きてる内は出来るだけ可愛いい悪人になれる様に努力するしかないやね?……と。