女子高生に三千円渡して駐車場に連れ込み……下半身露出に及んだ。
『何点か評価?してくれ』……と。
ソコまでカネ・モノ・権威を得るには、相当の忍耐と努力があったろう……。
五十二才である。
教師、教頭先生、校長先生という『お堅い』とされる職業の方々もよくこの手の失態を演じる。
構図は全く同じでシンクロしている。
五十二才の人生を思うとき……生まれ落ちて以来……良い大学、良い会社、立身出世と多数派の『定番の価値観』にドップリ染まって生きて来てるだろう事は容易に想像出来る。
未だに……『この手の迷信』を信奉し実践してる人は多いんだなぁ?……とニュースを読んでて哀しくなった。
良く考えて見て欲しい❗
人生がその価値観だけで出来てたら?と本気で想像してみて欲しい❗
その様な迷い方をする人は……マジにその価値観のみを信じ……自分に強要してきたんだと思う。
生きる上で『間違う事が無かった悲劇』……なんだと思う。
『間違う事』が何れだけ苦しく、その修復が何れだけ辛く、そして後になって何れだけ楽しいか?
間違いを通り過ぎた後……その体験が何れだけ自分に自信と信頼をくれるのか?
その『人生の醍醐味』がスコーンと抜け落ちた空疎な世界に生身の人間は堪えられないのである。
四〇後半ともなれば……『終わりが想像出来る』様になるからである。
コレが自分の人生なのか?『コレだけ』で終わっていくのか?……そんな剥き身の恐怖に囚われるのである。
恐らく人は言うと思う……。そんなのはほんの一部の人間だ❗……と。大部分の人は『無事に辿り着ける❗』のだと……。
その通りです❗……しかし『辿り着いた後の時間』こそが人生の集大成の時間なのである。
人は……過去の体験から自分を顧みる。
結局……『足りない自分』に気付かされるのである。
この『緩慢に進む終焉までの時間』は満足とは程遠い……酸欠を伴った様な寂しさであろうことは想像に難くない……。
そんな人を数多く見た……。
会話が全て『過去で成り立ってる集団』である。集まる頻度が落ち、人数が減り
遂には見掛けなくなる人達……。
一様に……酷く寂しそうなのである。
自分と闘わなかった『不戦敗』が勇気を挫くだろう?……。
しかし、しかしである。
そんな自分を叩き伏せる闘いを設定して欲しいと僕は……願うのである。
『自分には知らない事が沢山あったのだ❗』……ソレを受け入れ実社会への受験勉強を開始して欲しいのである。
事の良し悪しは別にして……『女子高生に三千円?』ソレが、『自分には知らない事がある』事を彼が知らなかったことを証明している。
モノ・カネ・権威で出来てる人達は総じて女に弱い❗❗……ソコにはマニュアルなんて無いからである。
一回、一回が一期一会の真剣勝負の世界である。受験のように『傾向と対策』なんて参考書は一切役に立たない世界なのだから……。
ヒタスラ実習・実技を積み重ねなきゃならい実力主義の世界なのである。
垢に汚れたハートと頭をリセットして男の最大のテーマ……女達に勇躍臨んで人生を体感して欲しいと僕は……願っている❗