サンチョパンサの憂鬱

短絡は形骸化へ行き着く……

またまた……読売新聞の特集。東北大震災後10年の記事……。

漫画の主人公の女の子のホンネ。
『絆って言葉……キライ❗』……彼女はそれを切っ掛けにイジメに合う……そんなストーリーを通して作者は『絆の息苦しさ』に言及する……。

精神科医の香山リカさんは……『絆』は素晴らしく……しかし時に人を縛りストレスの原因にもなる❗と警鐘をならしていた。

『繋がる』とか『絆』とかの使われ様に……如何ともし難い違和感を感じていたけれど……素直に受け止めればそれは『極めて自然』な感じ方だと思う……。

『絆』が先じゃなく……目の前の困難を抱える人を何とかして『上げたい❗❗』という自分の希望として発生し、それを頼りたい❗とする一方の意志あって発生する『絆』でしょう……?

絆は犯すべからずの『イイモノ❗❗』となって援助物資の受け取りを希望しない人まで『調和を乱す❗』的に責められた避難者もいたとか?

『繋がる』も同様……時として人によっては『厄介な関わり?』となるやも知れないのである。

それを金科玉条、憲法かの如く振りかざす短絡的理解が……形骸化へと繋がる。
先般から書いてきた……ポリコレマニア達も自粛警察も同じ構図……。

前編で書いた……この国を飛び交う『正義の嵐』もまた全く同じ現象である。

先ず言葉とイメージありき❗❗
それが固定化され……そこからハズレる者達の断罪が行われるの図である。
言葉も組織も主義も……人間がより良く暮らしていく為の『方便(道具)』に過ぎない❗

『言葉の正義』を水戸黄門の印籠の如く突き付け人を平伏させようとする『暴力』……かもよ?。

『そんなにイイモノ』が人に不自由な思いを抱かせたり追い詰めたりする訳がないのである。極めて不自然な人為的短絡思考のニュアンスを禁じ得ないのである……。

印籠にひれ伏して見せる人達は印籠に従った振りをしながら……心は全く納得してない!かも知れない……。

安易に言葉にすがり、形式にすがる短絡思考は必ずその言葉の持つ『そもそもの意味』を形骸化してしまうのである。

最後に……真剣に意味ある『絆』に取り組む 方々は当然存在しておられることも記しておきますね❗❗
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