三匹の犬がアメリカ兵に危険を教え、共に戦い助けたという『美談』についてである。
米国退役軍人の組織が大金をはたいてその犬をアメリカに空輸……帰還兵と幸せになりましたとさ……ざっとそんなストーリー。この美談に世界から多くの『イイね』が寄せられた事……。
何故?アメリ兵をゲリラは襲ったのか?ゲリラ側の事情は?、アメリカ軍の『誤爆、誤射』と簡単に片付けられ死んでいったアフガンの民間人の女や子供、その家族の哀しみは……?
そもそも……何故?アメリカ兵はアフガンに居たのか?……ウサマ・ビン・ラディンにカネと兵器を与え利用していたアメリカが何故?彼を仇敵として狙わねばならなくなったのか?
『この美談』からはそんな背景、風景、事情はスコーンと抜け落ちている。この美談にイイねを送った善人で無邪気な観客達の目にそんなモノは『一切見えていない』という事が主題だった。
今回、ブログをお片付けし、原点回帰して少々落ち着きが戻ってきた……。
すると……そうだよな?……『見えない事、見ようとしてない事』には誰だって思考を巡らせることは出来ないよね?と改めて感じたのだった……。
自分には『見えてない事がある!』、『見ようとしてない自分がいる!』……。
ソレを大脳で認知しない以上……『恐ろしく燃え上がった正義感』で人をトコトン攻撃することになる。
そんな構図が、社会のソコココに溢れ返っている。ネットで衆を頼んだ誹謗中傷攻撃に我を忘れて熱中してる人達は……そんな『自分も相手の状況、真意』も『見えていない』のである。
そして……『見えてないかも知れない自分?』というテーマで自分を思考するチャンスを逃し続けるのである。
神でもない存在の人が総てを見て知っているかの様に『決め付け、断定する』事の愚かしさと恐怖である……。
非礼を受け反感が燃え上がった時……僕もまた、その暴挙愚挙を仕掛けてくる人の、悲しみとか?孤独とか?寂しさとか?そんな風景が見えなくなっていたのだと思う……。
自分には見えてない事がある。知らない事がある。『その当たり前』を何時も大脳に…携えておくことの難しさを改めて感じたのだった。