別に読んだ訳ではない。その紹介文をサラッと眺めた程度である。日本人の精神構造についてイラクの日本人人質事件をベースに書かれている。
イラクの日本人誘拐事件の時、日本中に吹き荒れた『自己責任』なる言葉の嵐……。
正直、外務省の渡航自粛勧告を無視した『ジャーナリスト?』の無謀が明らかになったとき……自分もその同調圧力の空気に与する様な感情がチラリと湧いたのを覚えている……。
イヤイヤ、だから?殺されても仕方ないってか?そりゃないだろう?と冷静になったけれど……。
この本の紹介文を切っ掛けにして……『民主主義に於けるルールと責任』について随分前に読んだ本のことを思い出した……。
その『ルール・責任』が妥当性があるか?否か?その判断の基準に付いて明快な定義が述べられていた。
決して情緒的感情論・正義論で書かれたんじゃなく……民主主義を構成する為の正統なルール・責任の定義である。
民主主義において『要求されるルール・責任』というものは……『要求する側の人間』が『要求される立場』となった時……甘んじて受け入れ粛々と履行出来るモノでなければならない!……というシンプルで確固たる定義である。
自分が手柄欲しさに……人質の人間の立場となったならば?……と書けばもう『自分はそんな愚かな行為はしない!!』なんて声が聞こえて来そうである。
んじゃ?嵐か何かで飛行機が…緊急着陸した国が当時のイラクだったら?と聞けば良いのかな?……何としても日本政府を拝み倒してでも命だけは助かりたい……僕はそう思った。
だから『自己責任』というものを彼に要求することは出来ないな?……と。
そのルール・責任を自分のみで、自己責任で100%引き受けなきゃならない?なんて自分は耐えられないからである。
社会福祉事務所の『水際作戦』というモノで困窮した申請者を追い返している件も想像してみれば、『完璧に民主主義のルール・責任論の定義』を大きく踏み外してる事に気付くのである。
『自己責任で!!』と強要している条件は、雨露凌げない?、子供に食事を与えられない?当然自分も食えない?家賃払えず冬の露天に叩き出される?などなど……。
様々の過酷な家畜以下の扱いを強要してる側の人間達は自分が要求してる条件をこなせますか?
僕は想像しただけで……そんな条件を過ごせば……直ちに心は真っ二つに折れると断言出来る。死んだ方がマシ!そんな結論を導く事もリアリティをもって想像出来る。
『自己責任!』と尤もらしい言葉にして『そんな暴力』を公務員が、顔色一つ変えず粛々と業務としてこなしている国なのである。
実際……にこやかで勤勉で生真面目で柔和な日本人達が、人質となった無謀な同胞のジャーナリストに対して『自己責任!』の大合唱をしていた時……相当奇異な印象を以て日本人の精神構造の不可解さを世界は盛んに報道していたとあった。
考えて見れば当たり前なのである。
民主主義のルール・責任って奴は『守らされる側も守らせる側』どちらの立場であれ共通認識し、無理なく履行出来るモノじゃなきゃ全員に保証される『公平さを担保出来ない』ではないか……?
守れ!と要求はするが?守れ!!と要求されたら堪りません?……そんなモノはルールとも責任とも呼べる代物ではないのである……。
ヤングケアラー?シングルマザー?……災害一つ、交通事故一つで明日は我が身かも知れない。
『まさか?自分が宿無しになるなんて思わなかった……』今回のコロナ禍でよく聞くセリフでる。
それでも要求はするが?要求されたら困る?……ご都合主義で、二枚舌を隠しながらそれでも『自己責任という暴力』をあなたは振るいますか……?