サンチョパンサの憂鬱

自分の本当の事は……

『自分の本当の事』には価値があるか?

といえば『必ずしも価値が在るとは言えない』……それが正解だと思う。

『自分の本当の事』が素晴らしい価値を発揮する場合……それは『自らの意志で暴いた時』である。

『自己顕示欲』、それ自体はその『表の陽の面』には自己表現に繋がる動機とエネルギーがある。

しかし、その『陰の面』には何を置いても『目立つ事命』であり、目立つ事が目的と化している。
事を進めるプロセスに於いて『不純な動機』故に全く脈絡を欠く振る舞いを多発する?そんな人が数多く存在する。

企画を承けて事を進める時……終盤になるとシリアスな指摘をしなければその計画は早晩頓挫する?……ってな事はよくある。
その予見される事態の原因となるであろう、当人のキャラクター自体に深刻な欠陥が浮き彫りとなる……。

直言居士で僕はそれを指摘した。
結果的に『暴いた』事になった。
実力を伴わない自己顕示欲……は『言葉の称賛』を欲しがる。

横目でそんな事態を窺っていた業者が……言葉巧みに突け入って行くの図……。

『自分の本当の事』は時にその人のコンプレックスであり、今の自分の悦びに冷や水を浴びせるものでもある。

結果、僕に本当の事を暴かれた人は考えられない金額を悪徳業者に払う事で……自己満足を買ったのだった。

んじゃ?……モノは言い様だったのか?
それは当たらない。その人の『悪因を根絶』しない限り……非効率、ひいては破綻へと至る事は明白だからである。

その無意味な自己顕示欲の原因として、ここまでダラダラ書いてきた『自己肯定感』の欠如という根本原因が潜んでいるからである。

ある人は、旦那がフレンチの経営者だというレッテルを欲しがり、ある人はスポーツショップのオーナーというレッテルを欲しがっていただけだった。

『本当の事』ってのは強烈なコンプレックスを原因としており、その反動として自己顕示欲の攻撃性として表現されるに至っているモノだった。

『自分の本当の事』は自分自らが暴いた時に素晴らしい力と価値の源泉となる。

一方……他者に暴かれるという状況に於いては凄まじい『温存のモチベーション』となって指摘した人に激しい憎悪として還元されるものとなる。

コトほど左様に……『自分の意志』というものが重要なのだということである。

その人達は『自分の決定的致命傷の原因』……『自己肯定感の欠如』という事が理解出来ていないのではない。
恐怖の余りに……それを越える『分かりたくない!』という拒絶感に支配されているのである……。
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