嫌なら関わるな!……である。
そうやって刹那的な絵面を継ぎ接ぎしながら生きている人は生きた心地がしない。そんな事は無い!平気で演ってる?……確かにそう見えるけれど、その人の心の底が知っているのである。
そんな呵責を克服しているんじゃなく、『麻痺している・させている』だけで症状は深刻なのである。
だからこそ、聞かれもしない事を喋りながら偽装に余念がないのである。
全ての無責任、無軌道の残骸を残してさっさと逃げ出していくその姿。
その背中を見れば腹も立つのは仕方ないけれど……。
自分の為に怒りを鎮めるのである。
本当に辛いのは?……と思えば逃げたまま放置して上げられるのである。
勝負の前に先に敗北が決定しているそんな人を責めてはいけない。糾弾などもっての他と心得る事が肝要である。
そんな哀しい人から離れると……救われる。自分がその人の破滅に手を貸さなかったという事実が出来る。やられはしたがやり返してはない!……その安心感は自分に心地よさをもたらすのである。ある種の今流行りの自分へのご褒美ってのが貰えるのである。
足を止めて打ち合えば自分もその世界の住人となってしまう。
そうやって『人間止めますか?』という試験というか罠は両者に公平に仕掛けられていると思えば良い……。
人に勝つことはとても難しい。
しかし……『人に負ける事』を自分の意思で手にするのは尚更難しいのである。自分と事の顛末に含まれている人間的暗示までを思考しなければ出来ないのである……。
要するに『自分に勝つ!』って事だけど……。その難儀が自分を進化させる唯一の方法なのである。
それで?なんになる?……自己充足感を得られるだけだけど……過ぎて振り返ればその自己充足感しか自分の生きた手掛かりは無いのである。
今日になれば……昨日上手くやり込めた人の顔さえ既に忘れているモノである。
ダンディズムは……そうやって少しずつ磨かれるのである。
自分に勝つのは自分を勝たせる事ほど簡単ではないのである……。
負けないひと?……そんな彼は彼女は単に……とっくに負けていても自分の心が負けられないだけなのである。
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