誰かの役立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。

日常・子育て・推し活・同人誌・2次創作・お絵描き・手芸・お酒・大人のアソビ。フィット君とFITママの日記のその後。

むすことけいさつ

2020年08月25日 | むすこ

いつだっけ?夏休みではないか…でもここ1か月前くらい?

原因は何だった?、忘れちゃった。

夕飯時だったから何か自分の食べたいものがないとかもっと食べたかったとかそういう類のものだったのだと思う。

息子がダイニングテーブルをガタガタ揺らし始めたので「やめようよ」と言ったら、今度は椅子をガタガタ「やめてね」と手を取ったあと。なんだろう、なんでだっけ、わたしがポカポカ叩かれて。忘れちゃった、なんでそうなったんだっけ?

まぁ、叩かれたんですよ。---思い出したら追記しよう---

夫がそれを止めに入って、もういいからお前出て行け!となってしまい息子は玄関の外に出された。息子はそのまま行方知れずになり、以前にもあったけれど、時間がたつにつれ心配になってくるんですよ、保護者としてあたりまえか。で、探しに行く。探すって言ったってあてなんかないですよ。

近所をぐるっと回ってみて、見当たらなくて。家の前でごめんなさいって泣いたりうずくまってくれていればこういうことにはならないけれど、そういうタイプではないし。どこ行っちゃったのかな?と、日も暮れているしあんまり暗いところにはいかないだろうとは思っても、荒ぶっている息子がどんな行動をとるのかわからないし、平常な状態であろう時だって彼のことは推測すらできないことが多い。

しばらくして警察がやってきた。

近所のスーパーから連絡が入り、パトカーで息子が帰宅。事情聴取、息子が発達障害であること、こういう場合はどうしたらいいのかときいてみたら、いろいろ巻き込んで結局警察が動くよりも、先に警察呼んでくださいとなりました。

今回のことは記録として残るので、今回のように止めようがない場合は直接管轄の警察署に電話をください、わかるようにしておきますと言われ、息子顔写真撮られる。

・・・。

警察呼んでいいんだ!!!!!!!

虐待と裁かれる前にもう警察に電話!していいんだよ。


受験シーズンという山。

2020年02月26日 | むすこ

夫は塾講師をしているので、子供の長期休みと受験シーズンはほぼ家にいない。特に冬休みから2月中旬までは見かけることが稀なレアキャラとなる。

そんな中、わたしは去年息子を骨折させた。つまらない言い争いからの虐待案件となり、児童相談所、警察、小学校、病院、療育センター…針の筵とはこのこと? 確かに手をあげた、やっちまった、悪いのはわたし。

冬休みからたまりにたまったストレス、ストレスの発散もしているつもりでいたけれど、楽しみにしていたイベントがあったからそれを楽しみに頑張っていたけれど、頑張り切れなかった去年の冬。

家出すると息巻く息子を止めるためコヅキあいから、息子は廊下で滑ってバランスを崩し、打ちどころ悪く鎖骨骨折。

鎖骨骨折。ついでに胃腸炎。

 

何から話せばよいのでしょう。

息子が家出する、家を飛び出し、行方知れずになったことは3歳ころから始まった。そのころから、何度も行くあてのわからない息子を探し回った経験。あの徒労、疲労、なんとも言えない気持ち。心配と怒り。なんで?なんで?なんで?と走り回り、どこ?どこ?どこ?と歩き回る。

何度もあったそのことが、その日息子を外に出してしまうと、また探しに出なくてはならないとこが耐えられなかった。

自分の気持ち、自分の抱え込んでいるもの、そういったことは全部、その時はコントロールできないものになっていた。結果、鎖骨骨折。

 

あれから1年たった。怪我をさせたのは去年の2月2日昼過ぎ。覚えている、何度も何度も病院、学校、児相、療育センター、心理士、警察、ソーシャルワーカー、保健師、役所職員…何度も同じ話を繰り返し繰り返し話をさせられた。まるで禊とか懺悔の告白。

そこから、1年たってわたしは変わったのかな。

怪我をさせてしまったことの後悔はもちろんあるが、それ以降まったく怒鳴らなくなったわけでもないし、暴言を浴びせていないわけでもない、暴力も全くなくなってはいないような気がする。

どこまでが親の愛なんだ。ADSの息子にどうやって付き合っていけばいいのかと模索して考えて、言葉を選んで、ここまでやってもまだ息子には届かないのかという絶望が毎日有って、それは解消されることなく積み重なっていく。

ホコリみたいにいつの間にか積もっていて、さぼっているとアッと今に取り除くことをしないと駄目なものになっている。払うだけではそれは舞い散るだけで、掃除用具を取り出し吸い取るなり、雑巾で取り除くなり、厄介な何かをしないと駄目なもの。

厄介な気持ちは変わるし留まるし、流される。自分のしたいことすら、自分の好きすら、魅力が陰って億劫なものになって、全部投げ出したくなる。

そうなる前の対策として、今年の受験シーズンは子供に怪我をさせない、怒鳴らない、叩かないために、子供とたくさん話をした。こういうことが起きたらこうしよう、こうしてほしい。わたしの側からと子供の側からお互いに、どうしようという計画をたてた。

子供たちの年齢と社会経験が成長となっていて、今年の受験シーズンはなんとか乗りきれたように思う。

だけど、終わったわけではない。

夫が仕事を変えない限り、受験は毎年やってきて、そのうち、わたしの子供も受験生になるときも来る。どうなるんだろうね。来年はどうなるんだろう、今年よりラクに乗り切れるのかな。わかんないね、私自身も、自分がわからないもん。

たのしくわらってゆるゆると。

そんなふうに過ごしたいっていつだって思っているけれど。実際にはイライラの毎日だもん。

わたし、なにと戦っているんだろう。

 


小学校の面談と思うこといろいろ

2019年09月21日 | むすこ

でかい字のほうが読みやすい。もう老眼なんだ、知っているよそんなこと。

さて。

 

ほぼ毎月、ASD息子の担任と児童専任と面談がある。別に、断ってもいいのですが、家庭での態度や学校での行動や学習について報告しあう。

今回は、10月に行われる運動会についての対応についてがメインの面談。初めてのことに挑戦することを苦手とするタイプなので、まずは見学から始めさせてほしい。妹からのダメだしが何よりもこじれの原因となるので、距離を話してほしい、同じグループには絶対に入れないようにしてほしい!!!ということを訴えてきました。

年子で1歳と半年違いなので、成長がかぶったり突き抜けたりゆっくりだったりと、年の差があるんだかないんだか。妹のほうができる、理解力が高い、定型発達ならもう出来て当たり前とされることが息子には難しく、そこを妹ができるというのは彼の自尊心を傷つける。

でも。

これは私の勝手な推測でしかない。普段の息子の行動や発言から、たぶんこうした方がうまくいくだろうというだけのことで、裏目となることもある。

あれこれ考えても、答えはわからない。息子に聞いてみてもわからない。話が長いと聞いてないし、聞いてないどころかうるさいとか話長いって言われる。

そんな面談中に先生から「友人関係も良好で、去年は一人で何かに取り組むことが多かった休み時間に外で遊ぶことも増えた」「男女分け隔てなく遊んでいます」と。

わたしの頭の中に「❓」が浮かんだ。

その話の前後の流れからか、なにか同性と遊ぶ事を良しとしているのかな?という感じを受けた。考えすぎと思うけれど、なんですかね、なんかもやっとしたのですよ。

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息子のいいところはたくさんあるけれど、今、わたしはとんでもなく落ち込んでいて。

気分がドカンと下降してして、日々のことが面倒くさい。でもこうやって雑文をかける。まだマシかー?

わからないね、とにかく口癖が「死にたい」だ。

勝手に死ねよ!と言われるだろうけれど、迷惑をかけずに死ぬってすごく難しいですよね。あれやこれや始末したり、ありがとうを伝えたいとか。そんなわけで身軽になるべく片づけを始めなきゃなーって思っているけれど、その気力もなく、今日も生きてます。

 

洗濯物乾いたかな。


小学校への通学路 散文。りょーいく編-3

2018年09月24日 | むすこ

小学校に入ってむすこの特性がいろいろと問題になったりならなかったり。

4月に入学して、夏休みが終わって、9月も終わろうとしている。

早い。

 

まず、学校に歩いて行ってくれません。

入学式の翌日は歩いて行ったのですが、翌日から1人で歩いていけないので一緒に校門まで歩いて行って。

あるとき登校途中に見守りの地域の大人たちの声掛けにむすこはその場に座り込んでしまった。

「給食おいしいぞ」

「友達まってるよ」

「----ちゃんと一緒に行ったら?」

「家にいたってどうせゲームだろ、つまらないだろう」

などなど・・・。

昭和生まれの私にはよくわかる、この地域の人たちはまるで悪気はない、そういう時代を生きてきて実際に学校が楽しかった人たちだったのだと思う。こういった時代に合っていない励ましというか助言というか・・・時代に合っていないのではなくうちの息子に合っていないだけかもしれない。

だけど、そう思えても、聞いていてつらかった。私がつらかった。息子にこんな言葉は無駄どころかマイナスで、こんなにいろいろ立て続けに言われたら混乱してしまう。

だいたいいきなり小学生になって重たい教科書が入ったランドセルを背負い、歩いて学校に行けって…息子には拷問以外の何物でもないだろう。

ということで、なんとか意識を、むすこの意識を私に向けなくては!ってことで「この道じゃなくって、あっちの道から行ってみようか?」と声をかけると、気分スイッチが切り替わったのか立ち上がり一緒に歩き始めてくれた。

でも、この翌日から、むすこは歩いて学校に行かないくなった。

学校に了承を得て車で送迎することにした。

起きるのが嫌で、YouTubeが見たくて、ゲームしたくて、学校に行きたくなくて、ものすごく機嫌が悪くなり固まる。体に力を入れて拒む、動かない、物を投げる、暴言を吐く・・・。

毎日のようにそういうことが続いている。

時々、スッと動いてくれることもあるけれど、学校に車を横付けしても車から降りてくれないこともある。

遅刻ぎりぎりというより遅刻、担任の先生には気持ちを伝えられるみたいだけれどほかの先生は拒否して話を聞くこともしない、らしい。らしいというのはその現場を見ていないから。

そんな日々。

おそらく、むすこは彼なりのわけがあっての行動なのだろうけど、わたしにできることはただ推測してむすこに働きかけることしかできない。

むすこは自分が今どういう気持ちなのか説明できない。言葉を知らないのもあるだろうけれど、なかなか自分が今どういう状態でどうしてほしいのかなんてうまく言えないから、せいぜい言えるのは放っておいてってこと。

むすこは放っておいて、ひとりにして、ということを学校生活の中で多くしているっぽい。自分の状態やこうして欲しいと伝えることがうまくできないからひとりにして、と言っているのなら悲しいな、って思う。

傷ついてまで、イライラしながら人間関係を維持しろとは思わないけれど・・・いや、コレはうそだ。我慢しながら人間関係を維持する譲り合いは必要だから、そういう訓練はしてほしいな、って思っている。むすこにはそれができない、得意ではない、理解できないと知っていても。

通学路を歩いて学校に行きたくない理由を私は学校にかけあった。地域の人からの励ましが逆効果であること、ランドセルが重いから行きたくないといったので、宿題のない科目の教科書を教室に置いて行ってもいいか聞いた。学校の答えは「NO」だった。子供が重たいっていうなら親が持ってくればいいと遠まわしに言われた。

でも今年、文科省が置き勉、教科書を教室に置いておくことを許容した。そのニュースを聞いた時、むすこに言った教科書が重くて学校に行きたくないなら教科書は学校においてきていいよ、先生に怒られたら母ちゃんが先生に言うからだいじょうぶ、って。でもね、まじめだから週末にはもって帰ってくる。まじめなのかな、クラスメイトに言われたからかもしれないな、って思うけれど、むすこがそれでいいならいいや、と。

でもね、教科書が重いという理由で学校に行きたくなかったのだから、教科書は学校においてきて、もう歩いて学校行ってね、って思ったんだけど、そううまくは運ばないね。

学校に歩いていくのがめんどうくさい、ってだけなんだけれど、私は無理矢理に理由を聞いてきていたんだよね。むすこは苦し紛れに無理矢理、私を納得させるための訳を話した。それが本当かウソかはわからない。だけどね、ウソを、オトナにはこういっておけばいいっていうことを学んでしまっていたらいやだな、って。

通学路、学校に行く、たったそれだけのこともむすこにはつらいこと、って。

なんだよ、ソレ!って思うんですよ、だって私にはそれができるから。できないことがわからない。わからないから、私のわかる行動をむすこに強制しているということになるんだろうけれど、このくらいできてほしいっていう日常のことすら求められないって、疲れるよ。

 

つかれたよ。

 

つかれているよ。


保育園懇談会 年長

2018年01月24日 | むすこ
ムスコ、保育園最後の懇談会

卒園に向けてのあれこれ


保育園には2才から4年間


保育園にはいってできるようになったこと


たくさんある



紙パンツが布パンツになってトイレに自分で行けるようになった
言葉が遅かった、でも話せるようになった
自分で着替え、箸が使えるようになって、
気持ちを言葉にできるようになった


もっといっぱいあるけどね

まー
人の気持ちはくめないでいるけれどね


ムスコ、よく育った
ありがとう

でもやっぱり面倒臭いよ


ずるくもなったしなー