誰かの役立つかもしれないし、役に立たないかもしれない。

日常・子育て・推し活・同人誌・2次創作・お絵描き・手芸・お酒・大人のアソビ。フィット君とFITママの日記のその後。

カニバと中野と荻窪のあと

2019年08月13日 | 日記

実家に子供を預け、渋谷の映画館まで行ってきた。

実家近くの駅から地下鉄1本で渋谷まで行けるなんて。。。それどころか横浜まで行けるんだ。

すげぇな!

さて渋谷ー。ここは渋谷なのか?なんだこの道、なに、ここ、どこ?といったことがちょっと前にもありましたが。なんとか今回は大丈夫だった!出産前は渋谷勤務だったんだよその頃も開発途中だったけれど、ずーっと工事しているんだね、いつ完成するのかな?前回来た時よりわかり易かったのは完成が近いせいもあるのかな?

 

さて映画。「カニバ」

知っていますか?昔、日本人男がフランスに留学中、オランダ女を食べて、裁判で無罪になって帰国した、ということがあったんですよ。もう絶版かもしれないけれど、小説、自叙伝、なんかも出版されて、漫画を描いていたこともあったはず。

いちど、西新宿のバーでお会いしたことがあった。そのときには、おじいちゃんだった。その佐川さんの映画なので、期待して見にいってしまったのが大間違いで、90分、要介護の佐川さんの言葉は少なくて。介護をしている弟さんが代弁と告白をしていて。ドキュメンタリーというものになるのかな。

思っていたのと、期待していたのと、全然違って! 呆然。

外国の人が作ったんだけど、その国の人はこれがいいと思って作ったのかな。テリー伊藤が監督だったらもっと面白く作ったんじゃないの?とか、もう、まー、とにかく!!

くそだった。

 

その日はたまたま、中野の女主人の誕生日だったのもあって、何年ぶりだろう。お祝い持って行ってきた。

久しぶりの再会。嬉しかった。彼女のまっすぐな言葉と生き方によって、たぶん私は結婚できたんだと思うところもある。なんていうのかな、この人の言葉だから受け入れることができるということ、あるでしょう。それです。同じ言葉はさんざん言われてきたけれど、ツンツンしてたし、認められなかった。

乾杯して、再会を約束してきた。

 

数駅離れた荻窪にちょこっとよったら、そこは相変わらずで。いつもの空気いつもの話題。何年たっても、客は同じことを話し同じことをしている。使い古されたリアクションが客を喜ばせる。不思議な空間。

西新宿でお世話になった店主に近況などを伝え、遠くに越した友人の話も聞けたり。

 

子供ととしまえんの花火を見にいったり、児童館に行ったり、公園で虫にさされたり。

 

そんな中西新宿の友より連絡が!すごい!サプライズ! ついて来なくてよい娘を連れて待ち合わせ場所へ。

久しぶりの再会がたくさんあってもう、話したいこともたくさんあって。娘ジャマ・・・。

でもね、本当にうれしい報告があって、よかったって息子を思う母みたいな気持ちになっていたら、あんまり歳離れてなかった。というかお互い、結構年齢重ねたんだなって。彼はわたしの中ではいつまでも若い、であった頃のままだ。

ちょこっとしか話せなかったけれど、癒されて、娘とプラプラ実家に帰った。

 

すごく楽しかったので、やはり、夫の実家はきつかった。


実家が2個のおぼんだよ

2019年08月13日 | 日記

けっこーん!

実家と呼ぶ場所が2か所できた。墓も増えた。

それはそれでよい、が、忙しいのです。

自分の実家はイイ、放っておいてくれるから。でもさ、世代的な問題で夫の実家はそうはいきません。

しょうわ!

だからなんですね。親戚一同といってもおんなだらけ。うちは結婚が・出産が遅かったので孫というよりひ孫世代と年が近い。

早々に帰りたいのですがそうもいかず、拷問。

子供たちはとても楽しそう、ばばたちにかわいがられご機嫌ではあるけれど、やはり私は夫の母が苦手だ。

まぁ。年に1回くらいはね。

 

 

ふー。


「親であること、毒になること」これから  #毒親かもしれない

2019年08月12日 | 日記

ずいぶん前になるよ、春先の出来事。

「親になること、毒になること」というイベントがあった。

そのイベントのひと月前

息子を突き飛ばして鎖骨骨折させたんだ。

その日はプログラミング教室に参加していて、息子が途中から自分のやりたいことがうまくいかず教室を飛び出した。

つまんない、やりたくない。それならそれでいいけれど、楽しんでやっている人もいるのだからそっと席を立てばいいだけなのに、声に出す、態度に出す。

自閉症スペクトラム、ADHD、LDの複合型発達障害の7歳。

またか、という思い。

躓いているところを講師に質問してクリアにすればいいと思う。だって、わからないから学びに来ているのだ。だけど、そんな道理は息子には通用しない。これで何度目だろう、またか、またか。時間を使い、息子がやるというから予約を入れたのに。

わたしの気持ち無視、その態度と行動に、もう疲れが爆発した。

 

家に帰る車中、わたしは「また気分が悪くなった、何度も同じことをされている、行きたいっていうからついてきて、最後まで楽しかったね、って帰ったこと今まで1回もないよね」言っても仕方ない、言ったところで彼の心には残りもしないだろう、ただママが怒っているということだけを感じているだけだ。自分の失敗を振り返るとか、そんな感情は息子にはあまり備わっていない。

呪詛は続く。わたしはずーーーーーーーーーっと、今まであった息子にされたことを言い続けた。今の私は精神が病んでいる、そのことをわたしは薄々気付きながらなんとかなるのではないかと、精神科の受診を怠っていた。

時期も悪かった。

冬休みっから続いた夫が不在の毎日。なんとかなると思っていたけれど、なんともできていなかった。

タスケテ、と言えないでいる日々。

家につき、息子は「出ていく」と言って玄関に向かった。わたしはそれを引き留めた。また出ていく?探しに行かなきゃいけないの?いなくなってもいい、死んでもいいという思いもあるけれど、自分が責められるのも嫌だった。コヅキあいから、力が入り始めた、何度目かに息子は転倒し、頭と肩を打った。

バカみたい。

病院あいてない土曜の午後。

やっている病院探して駆けずり回り、行く先々で子供にけがを負わせましたと馬鹿正直に伝える。

学校にも連絡をする、学校から呼び出し。児童相談所への通報、児童相談所の訪問、療育センターにも相談。子供の通院の付き添い。

目まぐるしい時間が過ぎていく中で、子供にごめんねって言えたのは1週間くらいたってからだった。

 

子供は悪くない、

わたしは自分の怒りを制御しきれないんだという現実。

 

息子の骨折から、今は月1回メンタルクリニックに通っている。

 

8月。

夏休みは無理しないように、何とかうまくやっていきたい。

後、もう少し、どうか無事に終われますように。