ここのところ、気づきがとても多いのです。
昨日、お風呂に入ったとき、瞑想をしていました。
そして、自分の名前を何気なく、確認しました。
わたしの名前は、「愛子」です。
わたしは、ずっと、自分の名前を、「愛する子」と思ってきました。
だから、鑑定も、愛を出そう、人と接するときも、相手が嫌がらないことをしよう・・と思ってきて、それは間違いないと思います。
けれどね、そうして生きてきた結果、
それがたまに、疲れるなぁと思うことが出てきたり、その結果、良かれと思ってしていたことが、裏目に出たり、
一生懸命してきたのに、なんかまた違う・・ということが起こったり、
色々でした。それも人生の側面だから、それでいいのですね。
そして、そのように落ち込んでいると、優しいお客様が、スカイプワークで、
「今までのことは間違っていないんですよ。これでいいんです。」と、これまた優しい言葉をかけてくれるんですよ。
お客様に救われることのどれだけ多いことか。
結局、鑑定士が導き、お客様が対価を払って救われる・・だけではないのですよね。
一生懸命していると、自分がポッと小さな落とし穴に片足つっこんで、じっとしている時に、サラリと引き上げてくれたりするんです。お客様が。
本当に、感謝しています。有難うございます。
それでね、名前の話に戻りますが、愛する子ということを自分に課して生きてきた。でも、なんか乗らない。道に乗らない感覚なんです。
それで昨日、大発見をしたんです。
「愛子」という名前は、愛される子っていう意味なんだと。
大きな愛の光の中に、子というものがある。そういう映像が見えました。
わたしが、子なんだ。そして、愛がわたしを包んでいて、沢山の、沢山の愛の中に、ずっと前から生かされていた。そしてこれからも。
なんて、有難いんだろうと、涙が止まりませんでした。
わたしの主人は、明生と書きます。
明るく生きる。というのは、能動的なものですね。
やっていく。こうして生きて行く。それは、親の願いもあります。
だけれど、そうして考えると、彼は、生まれつき、明るい光の中で、ただ生きる。
のびのびと生きる魂なのですよね。そのような人でもあります。
皆さんも、ちょっと考えて、ひねってみてください。以外な仕掛けに気づくかもしれません。
名前というのは、わたしは、親を通して、親につけさせて、結局は生まれる前に自分で決めてくるものだと思っています。
うちの長男が、産院で赤子の時、ガラス越しに彼を見て、名前が決まらないねと言っており、順に、名前を彼に向って言っていきました。
「よしお、たかし、・・けいご。」
けいごの時、彼はピクッと反応したのですね。
だから、けいごと付けたのです。その名の通り、圭は「宝石」吾は「我れ」
ということで、プライドの塊のような、気高い精神の子です。自分で付けたんだなあと思いました。
そして同時に、親の愛、神の愛も入っています。
自信が薄れた時など、自分で、自分の名前を優しく呼んであげると、癒されますね。呼んであげてください。
今日も良い日になりますように。いつも有難うございます^-^
昨日、お風呂に入ったとき、瞑想をしていました。
そして、自分の名前を何気なく、確認しました。
わたしの名前は、「愛子」です。
わたしは、ずっと、自分の名前を、「愛する子」と思ってきました。
だから、鑑定も、愛を出そう、人と接するときも、相手が嫌がらないことをしよう・・と思ってきて、それは間違いないと思います。
けれどね、そうして生きてきた結果、
それがたまに、疲れるなぁと思うことが出てきたり、その結果、良かれと思ってしていたことが、裏目に出たり、
一生懸命してきたのに、なんかまた違う・・ということが起こったり、
色々でした。それも人生の側面だから、それでいいのですね。
そして、そのように落ち込んでいると、優しいお客様が、スカイプワークで、
「今までのことは間違っていないんですよ。これでいいんです。」と、これまた優しい言葉をかけてくれるんですよ。
お客様に救われることのどれだけ多いことか。
結局、鑑定士が導き、お客様が対価を払って救われる・・だけではないのですよね。
一生懸命していると、自分がポッと小さな落とし穴に片足つっこんで、じっとしている時に、サラリと引き上げてくれたりするんです。お客様が。
本当に、感謝しています。有難うございます。
それでね、名前の話に戻りますが、愛する子ということを自分に課して生きてきた。でも、なんか乗らない。道に乗らない感覚なんです。
それで昨日、大発見をしたんです。
「愛子」という名前は、愛される子っていう意味なんだと。
大きな愛の光の中に、子というものがある。そういう映像が見えました。
わたしが、子なんだ。そして、愛がわたしを包んでいて、沢山の、沢山の愛の中に、ずっと前から生かされていた。そしてこれからも。
なんて、有難いんだろうと、涙が止まりませんでした。
わたしの主人は、明生と書きます。
明るく生きる。というのは、能動的なものですね。
やっていく。こうして生きて行く。それは、親の願いもあります。
だけれど、そうして考えると、彼は、生まれつき、明るい光の中で、ただ生きる。
のびのびと生きる魂なのですよね。そのような人でもあります。
皆さんも、ちょっと考えて、ひねってみてください。以外な仕掛けに気づくかもしれません。
名前というのは、わたしは、親を通して、親につけさせて、結局は生まれる前に自分で決めてくるものだと思っています。
うちの長男が、産院で赤子の時、ガラス越しに彼を見て、名前が決まらないねと言っており、順に、名前を彼に向って言っていきました。
「よしお、たかし、・・けいご。」
けいごの時、彼はピクッと反応したのですね。
だから、けいごと付けたのです。その名の通り、圭は「宝石」吾は「我れ」
ということで、プライドの塊のような、気高い精神の子です。自分で付けたんだなあと思いました。
そして同時に、親の愛、神の愛も入っています。
自信が薄れた時など、自分で、自分の名前を優しく呼んであげると、癒されますね。呼んであげてください。
今日も良い日になりますように。いつも有難うございます^-^