水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
ライトボディのことや
意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

映画「沈黙」から考えた

2017-02-06 12:04:27 | スピリチュアル
映画の「沈黙」の予告編を観て、胸が締め付けられた。

当時の隠れキリシタンの人々、政府からの弾圧、裏切り、苦悩を描いた作品。
純粋な信仰心がゆえに、人々は苦しんだ。

信仰心は、人それぞれで、
生まれつきに紐のように繋がっているものだと感じる。
頭ではなく、魂のものだから、そう簡単に切り落とせないものではないかな。

信仰と宗教は別だけれど、とある宗教でも、組織が変わり果てていく中で、家族を養うため、生活のために自分の信念を殺してでも生きなければならない人は、精神を病んだり、病気になったりしている。脳出血で死ぬ人もいる。

団体は力。同じ思念や想念が、力を持って社会を動かすこともある。
それは必要なことかもしれないけれど、わたしは今、そういうことに加わる気持ちになれない。

命の営みの中で、何度となく繰り返された、集団の力の偉大さと恐ろしさ、愚かさ。
それをみんな、何度となく見て生きてきた。

正直、もうたくさん。

辛い気持ちになった。。

映画の中で、牧師が言う。

「主よ、あなたはなぜ、黙っておられるのですか・・」


映画の「沈黙」という題名が、テーマでもあると思う。


でも、それでは終わりが無い。
終わらない。

悲しいだけ。

キリストも仏陀も、この地において信仰をもたらした人々は、
こんなことを望んではいなかったはず。

「人間は神の子である。」

それを体現しただけなのではないかと、勝手に思っている。

だから、弾圧する人も、される人も、傍観する人も、野次る人も、

神からすれば、同じく神の子なんだと感じる。

信じる、信じないより先に、

見つけたい、この地に降り立った彼らが言いたかったことの本質。

人の中にある光と真善美。

それを信じてお互いに拝みだすのが、信仰ではないかと、思っている。

圧倒的に温かい、すべてを包むような強烈な光が、全ての人々の、それぞれの中にあることを、わたしは死ぬまで信じ続けたい。