映画の「沈黙」の予告編を観て、胸が締め付けられた。
当時の隠れキリシタンの人々、政府からの弾圧、裏切り、苦悩を描いた作品。
純粋な信仰心がゆえに、人々は苦しんだ。
信仰心は、人それぞれで、
生まれつきに紐のように繋がっているものだと感じる。
頭ではなく、魂のものだから、そう簡単に切り落とせないものではないかな。
信仰と宗教は別だけれど、とある宗教でも、組織が変わり果てていく中で、家族を養うため、生活のために自分の信念を殺してでも生きなければならない人は、精神を病んだり、病気になったりしている。脳出血で死ぬ人もいる。
団体は力。同じ思念や想念が、力を持って社会を動かすこともある。
それは必要なことかもしれないけれど、わたしは今、そういうことに加わる気持ちになれない。
命の営みの中で、何度となく繰り返された、集団の力の偉大さと恐ろしさ、愚かさ。
それをみんな、何度となく見て生きてきた。
正直、もうたくさん。
辛い気持ちになった。。
映画の中で、牧師が言う。
「主よ、あなたはなぜ、黙っておられるのですか・・」
映画の「沈黙」という題名が、テーマでもあると思う。
でも、それでは終わりが無い。
終わらない。
悲しいだけ。
キリストも仏陀も、この地において信仰をもたらした人々は、
こんなことを望んではいなかったはず。
「人間は神の子である。」
それを体現しただけなのではないかと、勝手に思っている。
だから、弾圧する人も、される人も、傍観する人も、野次る人も、
神からすれば、同じく神の子なんだと感じる。
信じる、信じないより先に、
見つけたい、この地に降り立った彼らが言いたかったことの本質。
人の中にある光と真善美。
それを信じてお互いに拝みだすのが、信仰ではないかと、思っている。
圧倒的に温かい、すべてを包むような強烈な光が、全ての人々の、それぞれの中にあることを、わたしは死ぬまで信じ続けたい。
当時の隠れキリシタンの人々、政府からの弾圧、裏切り、苦悩を描いた作品。
純粋な信仰心がゆえに、人々は苦しんだ。
信仰心は、人それぞれで、
生まれつきに紐のように繋がっているものだと感じる。
頭ではなく、魂のものだから、そう簡単に切り落とせないものではないかな。
信仰と宗教は別だけれど、とある宗教でも、組織が変わり果てていく中で、家族を養うため、生活のために自分の信念を殺してでも生きなければならない人は、精神を病んだり、病気になったりしている。脳出血で死ぬ人もいる。
団体は力。同じ思念や想念が、力を持って社会を動かすこともある。
それは必要なことかもしれないけれど、わたしは今、そういうことに加わる気持ちになれない。
命の営みの中で、何度となく繰り返された、集団の力の偉大さと恐ろしさ、愚かさ。
それをみんな、何度となく見て生きてきた。
正直、もうたくさん。
辛い気持ちになった。。
映画の中で、牧師が言う。
「主よ、あなたはなぜ、黙っておられるのですか・・」
映画の「沈黙」という題名が、テーマでもあると思う。
でも、それでは終わりが無い。
終わらない。
悲しいだけ。
キリストも仏陀も、この地において信仰をもたらした人々は、
こんなことを望んではいなかったはず。
「人間は神の子である。」
それを体現しただけなのではないかと、勝手に思っている。
だから、弾圧する人も、される人も、傍観する人も、野次る人も、
神からすれば、同じく神の子なんだと感じる。
信じる、信じないより先に、
見つけたい、この地に降り立った彼らが言いたかったことの本質。
人の中にある光と真善美。
それを信じてお互いに拝みだすのが、信仰ではないかと、思っている。
圧倒的に温かい、すべてを包むような強烈な光が、全ての人々の、それぞれの中にあることを、わたしは死ぬまで信じ続けたい。