水子供養と アセンションに向けての意識改革ブログ

命の大切さとともに
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意識改革 霊的なことについて
かなりディープな内容になります

天職とは

2017-02-13 16:20:32 | スピリチュアル
主人とともに、「おくりびと」を観ました。

とても、とても良かったです。




主人は、涙を何度もぬぐい、わたしもうなずきながら観ました。




納棺師という仕事を通して、主人公が天職を手に入れること、そしてお父さんとの和解が描かれています。



映画の内容もさながら、納棺師という仕事は、昔は士農工商のさらに下の身分の人が従事した仕事として、「えたひみん」ということで、映画の中でも、良い扱いをされていませんでした。



けれど、主人公のもっくんが、死体に触れる時、なんともいえない透明感が画面を包み、その所作が、大切な儀式をしているのだと思わせてくれました。

実際の仕事は、事故現場もあるし、自殺もあるし、死後2週間経過の現場もあるし、大変なお仕事だと思います。

でも、一般家庭の、遺族の人々の、大切な人を綺麗にして、お化粧をしてお送りしたいという気持ちと思いやり、納棺師が感謝される場面や、家族愛も描かれていて、

悲喜こもごもの現場を伝い歩くうちに、主人公はとても強くなっていきます。

彼はやがて、その仕事が自分の天職と思うのに、そんなに時間はかかりませんでした。



天職ということで考えてみましたが、この世で一生懸命天職を探したけど、見つからなかったということは、不幸ではないと思います。

一生懸命天職を探し、色んな仕事をしたり、これではない・・と思いながらもその仕事を続けておられる人もいると思います。

一見、これではない・・と思える仕事でも、そのスキルは大事なものとして魂に刻みつけられ、小さなことと思うことでも、出来たことは次の生に生かされます。

そして、その中で大事な事実は、「人生は長い」ということです。

人生というのを、長生きしたとして95年くらいのことではなく、輪廻転生を繰り返す永遠の命が人生という風に捉えたら、この世で、平凡と言われるような生き方をしたと、自分で感じることも、立派な一つのセンテンスだし、それが一区切りついて、また次の人生があった時に、何かにトライしても良いわけです。

それくらい、自分の生き方を大らかな目で見れたほうが、この毎日の中で、やってみようか・・と思うことにチャレンジしやすいのかもしれません。



そう考えたら、人生って、本当に長く、チャンスもある。

今自分が出来ていないからといって、不幸と思えるからといって、

それが自分に刻まれる刻印ではない。

どんなに立派なことをしても、次に生まれる時には何も持たない赤ちゃんとして、誰かにお世話になる。そして、あえて、お世話される側の体験をして、その気持ちを学ぶことも、ある。

その繰り返しの中で、何を大切に、普遍的に思うのか。



瞑想を毎日続けるたび、自分のいたらなさを感じます。清らかな気持ちになったと思ったら、怒ってみたり、泣いてみたり、笑ってみたり。

ちょっと歩いては、修正テープで白く消したくなることを繰り返すのが、わたしの人生かもしれない。



でも、わたしは、不器用な、未熟な自分を、大きな心で優しくしていきたいと思います。

それが、努力かもしれません。自分を見放すのは簡単、むくれるのも、ヤケになるのも、諦めるのも。

でも、どんな自分も、周りへの感謝の気持ちの中に入れてあげて、一緒に感謝していけば、道は間違わないと信じています。



間違えても、愛と光はわたしたちの中にあるから大丈夫。



そのことに気付いてもらうのが、わたしの鑑定という仕事かもしれません。

天職と言い切るには遠いのかもしれませんが、

神様が、辞めなさいと言われるまで、続けていきたいと思います。







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