この間の休日、あと少しで出かけるというとき、しかもご飯を3口目食べた時にピンポン。
お隣のおばあちゃんでした。
85歳になり、足腰はしっかりしていて、一人暮らし。本当に偉い方です。
でも、しっかりしているだけあって、口は達者、昔でいうと「女史」という言葉がピッタリの方。
敵に回したくないタイプ。だけど、何かウマは合って、よくお庭の茶花をうちに下さる方でした。お蔭で、我が家の庭は茶花が多く、有難いことです。
さて、何かと思って出ると、外から帰ってきたら回覧板がポストにあったから、悪いけどうちの分も日にちを書いて回しておいてくださる?とのことなので、快諾しました。
こちらも急いでいたのですが、何か話のきっかけを作ったがために、それから20分くらい、立ち話。
大抵我が家の庭について、あれこれ言ってくれて、最後には「ま、他の人の家には口出しするもんじゃないね。」と言いつつ去るというパターンなのですが、
前年の夏に、この方と喧嘩というか、頭にきたことがあって・・
前から、「家のお庭のことはお宅のご主人がすべてやってくれているから、あなたは楽でいいわねえ。」
ということを言われたので、一度目は「わたしも雑草を抜いてますよ。」とにこやかに応対していたのですが、
2度目におんなじことを夏に言われたので、わたしも子育てでイライラしていた時で、言い返したんですね。
で、わたしも反省したので、その日の午後梨を持ってひと話しして、にこやかに終わったのですが・・
今回、また同じことを言われたんです(笑)
で、ここからが本題。
わたしたちが当り前と思っていることが、80歳超えたシニアの方には通用しないということ。
それは悲しいことではなく、そういうものなんですよね。そういうもので出来ているというか。
一度、お年寄りが、「こういうものだ。」というものを作り、その脳回路が頭に出来てしまうと、
何度正しても、何度言っても、そこに戻ってしまうことが往々にしてあるということ。
「お庭は週末にご主人がすべてやっているから・・」
というので、そこでああああああ・・と悟りました。
なので、「初めてわたしは聞いたんだ!!」と自分に言い聞かせ、
「あ、庭の草抜きは、すべて私がやっているんですよ。」
というと、「あ、ごめん。そうだったの。わたしはてっきりご主人さまがすべてやっていると思っていたわ。^^」
と前の会話のパターンになりました。
でも、忘れてくれていいです。おばあちゃん。
また同じこと言ってくれていいです。わたしはそのたんびに、また同じことを言います。
それが、わたしとあなたのコミュニケーション。笑いながら話しましょう。
この方は、ひとり娘さんがいてお孫さんもいますが、おばあちゃんのほうが気を遣い、あまり行き来もないようです。「育て方を間違ったかね・・」と、わたしにはすべて話してくれました。
家に一人だと、どんどん寂しくなるみたいで、大体3か月周期で、お話をしに来ます。何かきっかけを作ってきます。それを、面倒くさいと思うのは簡単。
でも、そこが愛行なのですね。
話をひとしきり聞いて、優しい言葉、笑顔をあげるだけでも、とても喜んで、胸がスッとするようです。
なんだかなーと思うときもあるけど、そういうときには、寿命を思います。
わたしの父も母も。70歳を超えました。おばあちゃんとは、あと5年したら90歳になる。
いつまでお隣さんでいられるかな・・
脳の回路の思いこみ、何ともいえない寂しさ、認めてほしい、優しくしてほしい、
それはお金では買えません。でもわたしたちは、愛を意識すれば、いくらでも、それは与えることが出来る。
それが人間のなせる技。この世に生まれて出来ることの、最高の水準の行動です。
それをさせてくれる人だと思い、これからも付き合っていきます。
お年寄りは不器用で寂しくて、でも、奥に優しさがあります。
その消えて煤のようになったロウにも、灯をともすことが出来ます。
そんなことで、これからもご近所づきあい、頑張っていきます(笑)
お隣のおばあちゃんでした。
85歳になり、足腰はしっかりしていて、一人暮らし。本当に偉い方です。
でも、しっかりしているだけあって、口は達者、昔でいうと「女史」という言葉がピッタリの方。
敵に回したくないタイプ。だけど、何かウマは合って、よくお庭の茶花をうちに下さる方でした。お蔭で、我が家の庭は茶花が多く、有難いことです。
さて、何かと思って出ると、外から帰ってきたら回覧板がポストにあったから、悪いけどうちの分も日にちを書いて回しておいてくださる?とのことなので、快諾しました。
こちらも急いでいたのですが、何か話のきっかけを作ったがために、それから20分くらい、立ち話。
大抵我が家の庭について、あれこれ言ってくれて、最後には「ま、他の人の家には口出しするもんじゃないね。」と言いつつ去るというパターンなのですが、
前年の夏に、この方と喧嘩というか、頭にきたことがあって・・
前から、「家のお庭のことはお宅のご主人がすべてやってくれているから、あなたは楽でいいわねえ。」
ということを言われたので、一度目は「わたしも雑草を抜いてますよ。」とにこやかに応対していたのですが、
2度目におんなじことを夏に言われたので、わたしも子育てでイライラしていた時で、言い返したんですね。
で、わたしも反省したので、その日の午後梨を持ってひと話しして、にこやかに終わったのですが・・
今回、また同じことを言われたんです(笑)
で、ここからが本題。
わたしたちが当り前と思っていることが、80歳超えたシニアの方には通用しないということ。
それは悲しいことではなく、そういうものなんですよね。そういうもので出来ているというか。
一度、お年寄りが、「こういうものだ。」というものを作り、その脳回路が頭に出来てしまうと、
何度正しても、何度言っても、そこに戻ってしまうことが往々にしてあるということ。
「お庭は週末にご主人がすべてやっているから・・」
というので、そこでああああああ・・と悟りました。
なので、「初めてわたしは聞いたんだ!!」と自分に言い聞かせ、
「あ、庭の草抜きは、すべて私がやっているんですよ。」
というと、「あ、ごめん。そうだったの。わたしはてっきりご主人さまがすべてやっていると思っていたわ。^^」
と前の会話のパターンになりました。
でも、忘れてくれていいです。おばあちゃん。
また同じこと言ってくれていいです。わたしはそのたんびに、また同じことを言います。
それが、わたしとあなたのコミュニケーション。笑いながら話しましょう。
この方は、ひとり娘さんがいてお孫さんもいますが、おばあちゃんのほうが気を遣い、あまり行き来もないようです。「育て方を間違ったかね・・」と、わたしにはすべて話してくれました。
家に一人だと、どんどん寂しくなるみたいで、大体3か月周期で、お話をしに来ます。何かきっかけを作ってきます。それを、面倒くさいと思うのは簡単。
でも、そこが愛行なのですね。
話をひとしきり聞いて、優しい言葉、笑顔をあげるだけでも、とても喜んで、胸がスッとするようです。
なんだかなーと思うときもあるけど、そういうときには、寿命を思います。
わたしの父も母も。70歳を超えました。おばあちゃんとは、あと5年したら90歳になる。
いつまでお隣さんでいられるかな・・
脳の回路の思いこみ、何ともいえない寂しさ、認めてほしい、優しくしてほしい、
それはお金では買えません。でもわたしたちは、愛を意識すれば、いくらでも、それは与えることが出来る。
それが人間のなせる技。この世に生まれて出来ることの、最高の水準の行動です。
それをさせてくれる人だと思い、これからも付き合っていきます。
お年寄りは不器用で寂しくて、でも、奥に優しさがあります。
その消えて煤のようになったロウにも、灯をともすことが出来ます。
そんなことで、これからもご近所づきあい、頑張っていきます(笑)