太平洋戦争のときは、昭和12年12月に大本営が設置された。動機は大本営を設置すれば統帥部の意のままに政策も動くと言う考えが強かった。大本営は統帥の府であって、政策は別に政府がやると言う正確な解釈も不十分で、後日国民を誤魔化す道具と化して、極めて危険な局面も多々あった。ガダルカナルの争奪戦と言えば一木支隊、川口支隊も相次いで軍旗もろとも敗退 半年にわたる死闘の末「ガダルカナル」を放棄、数万の人命、海軍舟艇、軍艦、飛行機数十万トンの船舶を失い作戦は終わった。強行の陰に大本営某参謀の無謀な作戦計画は例えば次々と部隊を投入し補給の計画もなく食料は敵から奪ったものでと言う。無謀もここまで来ると、個人の意欲のみで他を威圧した。今の政府を見ると、どんどん進める為に内閣府が予め強行施策を秘し情報を廃棄、焼却の暴挙に出て怪文書で誤魔化す事は許し難く国民を見くびった態度は日本救う意味で交代時期ではないか。トップの人間性に絡む問題で、口から出る反省は徒に拡大するのみで本心とはうけとりがたく、いい面まで裏があるどではないかと俄かには信じ難い。内政に緩みがあると、外交も弱気となる。身辺整理が立て直しの基本である。加計学園より北朝鮮対策が遥かに重要だ。自民党の立て直しも緊急事項とみる。声立てぬ議員は無用の長物である。昭和18年9月一日「戦争終結に冠する考察」参謀本部三岡少佐こう言う者を配れば命が危ないとまで言われた。稲田少将(飛行6師団長)瀬島龍三少佐は理解と共鳴、お二人とも決定の衝にいない。(19年10月16日)詳細は克明に日誌として保管されている三岡中佐は。参考文献「船舶太平洋戦争」著者三岡徤次郎