失敗は成功の基と言う。敢えて驚くべき現象ではない。しかし時を移さず打ち上げを試みる技術というか。資金源の豊富さには驚かされる。民は餓えているかもしれぬ。いや一部の人は、極端に優遇されているかもしれぬ。それらを統御しつつ、武力での優位性を維持しようとする計り知れぬ国の存在に脅威を感じる。地球上にはある種の勢力分布がある。味方に立つ側と、対抗勢力を応援する側と、絶えずいずれも自身の正当性を盾に戦いを挑む覇権国家とそれを逃れようと地球にいる平和を願う無数の民が国を頼れぬ難民、移民となり、流浪の生活を余儀なくされた流民が生まれる。戦勝国となっても人の心までは治められず、復讐の念を新たに生むだけに、益々怨念は深く人心を荒ませる。宗教では救えない、人間の慾を洗い去る力は、どこに存在するのか。地球自体人類に対して決して公平ではない。豊かな資源の国あり、砂漠の国あり、肥沃な土地、極端な気象現象等日本に住んでいて理解できない環境がある。当面北朝鮮の為政者に、過去の怨念に生きるのでなく、今後の人類の平和のために舵を大きく切れば世界が一変する。核保有と言う一度確立した技術は消え去るものでない。現在の保有技術を凍結し、世界人類の為、平和の狼煙を高々と打ち上げて欲しいと切に願う。
核兵器を手中に握った北朝鮮は、如何る考えの許にアメリカに向かい戦線の火蓋をきる事も辞さずとなったのか。国には長い民族の歴史があり国内、国外ともに、意見の違いは再三あった。相互いに戦火を交えた歴史もある。指導者の民族に対する不幸な考えもある。我々日本人も米英を鬼畜と叫ばせ戦火に放り込まれ、破れて初めて其の無謀さを知らされた。今、北朝鮮が如何にすべきかは、情報不足のままでは回答は出ないが、為政者と国民の間に大きな隔たりと言うか、恐怖政治の許、同調しなければ、生きてゆかない国情を考えると、核戦争の危険を犯したり、避難民が国外脱出を考えると、無条件の受け入れが出来ないだけに苦しいところである。日本ヲ護るためには、密入国を監視、工作員の上陸阻止、重要施設、交通機関の安全、衛生管理のきめ細かい配慮等第一弾の態勢固めが急務である。敵情をいかに分析しても回答でないし、自らが実行しないと、後の祭りとなる。外交の効かない情勢が濃厚となってきた今、政府の重要な使命である。、
難しい問題で意見の相違があるのと、常識程度の問題意識の欠如はどうやれは今後起こらないか。総理大臣自身が本人より先に任命責任と認めたら解決にならない。言葉尻の失言で大した問題でないととる派閥の幹事長は言うが、本人の普段の言動はどうなのか。急に大臣になって、学の有るところを示したかった幼稚性の何ものでもない。年に1-2回は、議員としての報告書を提出させるとか、問題を提起して、小グループでの討論をやり、平素の研鑽をやらなければ、順送りの大臣ポストの割り当てで人物は磨けない。今国民が国を信頼しきっていない現象はいたるところにある。TPPでもアメリカと日本が加盟しないと意味がないと言っていたついこの前、今やアメリカ抜きの11か国で進めようと言う。意味のない事を勧める理由が欲しい。アメリカを引き入れる一歩なのか、アメリカなしでどう乗り切るのかの説明もない。森友学園で日本は死に体状態で、運悪く北朝鮮の暴発の瀬戸際にたたされている。問題のある大臣は、至急入れ替える英断が望まれる。史記に曰く、士は己を知る者の為に死す。、
受動禁煙の最大の被害者は身近な親族、会社などの同僚、部下である。一番時間が長い被害者はおそらく職場ではないか。平常で8時間はみっちみ影響を受ける。少し我慢すれば我慢できる話はない。人間愛、愛情の欠落が最大の原因である。しかも人を引っ張て行くべき国会で纏めきらないならば、選挙公約として、掲げたらいかがなものか。狭い部屋で働く人の身になって、世界でもオリンピックを機会に受動喫煙の運動が盛んな今こそ決断すべきだ。
中川代議士の人格を疑う破廉恥に対し、党辞退に追い込まれたことは、当然ながら後任人事を立てないのは、早くも復帰運動を起こす考えの幹事長、政治家の質より数を尊ぶこれが政治と言うものだろうか。信用などは人の噂も75日とばかり国民を舐めてかかっていないだろうか。
北朝鮮の拉致問題、毎回同じ言葉の繰り返しの首相答弁、これをまた受け入れざるを得ない拉致家族の悲願互いの信用を無くし言葉尻をとらえた両国の本当に手に負えぬ間柄、自分の身内でない痛みの落差が為せる業か。堂々とた決死の勢いがない限り、旧態依然の繰り返しに終わる。邦人救出など海外に出た人は、自らの手で被害に合わないよう、国の力を過信してはならぬ。、
中川代議士の人格を疑う破廉恥に対し、党辞退に追い込まれたことは、当然ながら後任人事を立てないのは、早くも復帰運動を起こす考えの幹事長、政治家の質より数を尊ぶこれが政治と言うものだろうか。信用などは人の噂も75日とばかり国民を舐めてかかっていないだろうか。
北朝鮮の拉致問題、毎回同じ言葉の繰り返しの首相答弁、これをまた受け入れざるを得ない拉致家族の悲願互いの信用を無くし言葉尻をとらえた両国の本当に手に負えぬ間柄、自分の身内でない痛みの落差が為せる業か。堂々とた決死の勢いがない限り、旧態依然の繰り返しに終わる。邦人救出など海外に出た人は、自らの手で被害に合わないよう、国の力を過信してはならぬ。、
「遺書」の大きな新聞広告を見る。書いた方は発行の意義を信じてのこと、元総理大臣だった森喜朗氏だ。自分と意見が合わないからと言って個人を対象にした誹謗なら何の意味もない。意見の合った人は、禦し易いだけの話。意見が合わないと言って、恨み節を並べるこれ私怨にしか過ぎない。情報がすべて公開された環境ならお互い齟齬を来たした全貌を解明せずに、当時知事だった石原、猪瀬及び、現小池知事の人格を誹謗すべきではない。人の価値は死後暫くたってから初めて評価されるもの、責任をもって業務をこなすのに100%の賛同はありえない。出来るだけ多くの賛同を得る努力の結果、自らの責任で決断するので、決断できない人物ならいざ知らず、日々決断して業務を進めている人の向かい、決断できるのか、いつ出来るのかと角を立てる必要が何処にある。誠心誠意の意見であれば、意見交換すればよい。先方から頭を下げてくれるのが当たり前と自分からを上に立とうとする気持ちが強く意見を申し出る気持ちがないと来れば、静かに見守ってやればよい。自分だけ良い子ぶってもしょうがない。そんな人は偉い人だとは誰も思はない。ここまで遣ってきた事に対して良い点は称賛し激励すればよい。あいつはこんな悪であるとか、誰かに牛耳られている。之では死んでも死にきれないと言うが、森さんだって「失言」は多かったが、悪いことをしようとしたわけでもない。それなりに評価されている。死後は分かないがもっと、先輩として、泰然自若とした大者の風格を現わしてほしいと思う。すでに出版された内容は今更変えられないが、一つや二つは褒め言葉を遺してやるのが先輩の務めと思う。