る人吉市の北側にある球磨郡山江村・照岳に西南戦争の塹壕があるので探索してきました。




























照岳における西南戦争
明治10年5月26日
別働第二旅団司令・山田顕義少将は人吉攻撃の義を決し、歩兵三十二個中隊・屯田兵二中隊・砲兵五小隊・工兵四小隊を以て五家、五木、種山、萬江(万江)、照嶽(照岳)、球磨川、佐敷の七道より漸次進軍するの部署を定め30日拂暁(夜の明けがた)より行進を開始せり。
【薩南血涙史より】
照岳道・照岳古道(殿さん道)
相良12代当主・相良為続が文明16年(1484年)八代地方に勢力を伸ばすため開拓した軍事用の古道。
人吉市上原田町から球磨郡山江村の照岳を越え、球磨村両村境の白岩山など尾根沿いから八代市坂本町に抜ける。

照岳を進軍した官軍は山地中佐が率いる五個中隊と選抜兵でした。
5月30日官軍は行進ラッパを吹奏して進軍。
照岳丘上において薩軍(隊号未詳)と激戦を繰り広げます。

薩軍は劣勢で人吉に援軍を要請しました。
援軍として発したのは雷撃二番中隊。
照岳に駆けつけた雷撃二番中隊の隊長・町田萬は自ら先鋒となり、官軍に斬り込みました。
官軍兵は驚き退却ラッパを吹奏して照岳に逃れます。
薩軍は尾激して官軍の銃器、弾薬を獲ることができました。
雷撃二番中隊は翌日に人吉南側の大畑に退きます。
照岳登り口

しばらくは林道が続きます。

分岐点が現れるました。

分岐点を左へと進みます。

その先は行き止まり…

周辺を探索すると下に行ける場所を見つけました♪

今度は急斜面…ロープを掴んで登ります。

長い年月で古道も崩壊したのでしょうか。
更に登って行きます。

歩きやすい道ですね。

古道の姿が実感できます。


分岐点に出ました。
矢印の方が照岳です。

しばらく登ると【山越えの神】馬頭観音の石像がありました。

この石像周辺に薩軍塹壕が残っています。
ここで官軍の人吉進軍を防ごうとしたのですね。




もう少し北に進むと今度は2段重ねの塹壕がありました。
地形は南に下がっており、構築したとすれば官軍側だと思われます。



この塹壕の北側斜面を登ると平坦な場所がありました。
別働第二旅団司令・山田顕義も照岳にいましたのでここが牙営地だった可能性があります。

塹壕分布図

照岳山頂


これにて照岳の探索は終了です。
西南戦争の激戦地としての名残りがある素晴らしい場所でした。
探索時間4時間
探索距離8.5km