西米良村の天包山に残る西南戦争遺構を探索しました。
上からの写真
西米良村における西南戦争の状況は【西南戦争史跡55】に載せていますのでそちらを見て下さい。
天包山までのルート
西米良村は標高が高いので5月下旬ですが午前9時40分で気温19℃。
少し肌寒く感じます。
天包山登山口駐車場には西南戦争之碑があります。
駐車場は約8合目辺りなので山登りと言うよりハイキングと言った方がいいでしょうね。
登山口からの眺め
深い山間を薩軍・官軍が進軍したのですね。
当時の人の力強さを感じます。
登山開始。
それにしても今年はよく登山をするなぁ…
頂上までのコースは右回りと左回りがありますが左回りは作業用道路みたいなので右回りで登って行きます。
階段なのが逆にキツかった…
坊主岩の弾痕
これも【西南戦争史跡55】に載せていましたね。
ゆっくり戦績を探しながら登ること30分で頂上に着きます。
残念ながらここまで戦績を見つけることができませんでした。
しばらく休憩をして頂上付近を探索。
頂上には何の痕跡もありませんでしたが尾根沿いの道を見つけました。
尾根沿いを進むと右に人口的な窪地を発見。
塹壕ではないですが直径2mほどの窪地です。
もしかして砲廠部があったのではと思われます。
【砲廠部】銃器や弾薬、食料を置いていた場所
上からの写真
砲廠部跡と思われる所から更に尾根を進んで行くと尾根の先端に塹壕がありました。
これらの遺構は西南戦争でここを占拠していた官軍のものでしょう。
頂上に戻り山を下ります。
帰りも探索しましたが他の遺構を見つけることができませんでした。
今回の探索ルート
天包山から西米良村の村所に戻り西米良村歴史民俗資料館と菊池記念館に立ち寄りました。
西米良温泉カリコボーズの湯ゆた~とで汗を流して帰ります。
ここの温泉は化粧水に入っているような感じでヌルヌルとして最高です。
実は私も昨年ではありますが、米良街道探索がてら、村所八幡神社から始まるその尾根道を歩いて、登頂を試みました。途中蜜柑畑化したりして消滅してる区間もありましたが、概ね歩けるレベルには残っていてくれて、感動したことを覚えています。
山頂部の遺構に関しては、ご説明の2箇所の他、駐車場南側の山中に、低い土塁が50mほど連なってるタイプの塹壕が有りました(多分事前に資料で見て、そこに存在してる事が分かってないと気づかない)。
御子孫ならではの興味深いお話も幾つか聞けて、何と西郷さん、犬連れてたらしいです。リードをくくり付けた柿の木が、今でもあの旧愛平宅に残っているとのこと。俵野で可愛岳突破直前に逃がした、と言うあのエピソードは一体?
駐車場の南側も探索したのですが探すことはできませんでした。
貴重な情報ありがとうございます。
次回再探索してみたいと思います。
しかし、村所八幡神社からの探索とは凄いですね。
感服致します。
それに児玉愛平のご子孫の方に会われたのも奇跡的な出来事ですね。
西郷さんが西米良村でも犬を連れていた話はとても興味深いです。
自分も俵野で犬は逃したと思っていました。
どの本や証言、資料にも書かれていない貴重な情報ありがとうございます。
あと、Google Maps等でのSaran wrapさんの情報は本当に助かります。
おかげで長年気にかけていた坊主石山の塹壕も行くことができました。
Saran wrapさんの情報でこれからも行く場所が増えてきました。
これからもご教授してもらえたら助かります。
連絡する手段がないのでこのブログのコメントにでも情報を書いていただけたら嬉しく思います。
宜しくお願い致します。
まぁ私もこのブログで知ったスポットも有りますし、可愛岳突破路探索とか、絶対に自分自身の調査能力だけでは不可能なやつです。
それと私がGM上に登録した地点を、誰かが訪問しブログ等で紹介してくれればな、という思いが元々の原点にあるので、私としても猫之介様のおかげで、ある意味願ったり叶ったりの状況なんですよね。
取り敢えず無理なく、お互い今後とも九州の地を走り回りましょう。
お互い色々な情報を共有できたら助かりますのでこれからも宜しくお願い致します。